Hase's Note...


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「ひとり」

 珍しく、母から電話があった。声が疲れている。とてつもなく重く、暗い。
 訊けば、祖母の具合が悪いとのこと。そのため、母は札幌から浦河というわたしの生まれ故郷、つまり祖母が暮らしている田舎の町まで、毎週通い詰めているらしい。
 母を不憫に思いながら、しかし、わたしはため息をつくことしかできない。わたしは直系の孫でありながら、祖母と関わることを拒否した人間だからだ。わたしだけではない。わたしの弟も妹も、祖母と関わることを徹底的に拒否している。そのしわ寄せが母ひとりに向けられている。
 祖母は我が儘な人間だ。他人の気持ちを斟酌するという能力に欠けている。思ったことをためらわず口に出し、その言葉に他人が傷ついても知らん顔だ。いや、傷ついた他人が文句を言おうものなら、その千倍の侮辱の言葉を投げつけてくる。
 祖父が生きていたころは、そこまで酷くはなかった。おそらく、祖父の存在が祖母の無軌道な言動にブレーキをかけていたのだ。祖父が死んでからも、わたしの父が彼女の行動にブレーキをかけていた。祖父や父が祖母を怒鳴る姿を、わたしは何度も見てきた。怒鳴られたからといってしゅんとするような祖母ではないのだが、それでもしばらくの間はおとなしくしていたように思う。
 だが、祖父が死に、父も死んで、祖母は歯止めがきかなくなった。その頃にはわたしはもう東京でひとり暮らしをはじめていたので、直接被害を受けたことはない。祖母の無軌道な言動がわたしの耳に入れば、わたしが怒り狂うだろうということを知っている母や弟、妹が北海道で起こっていることからわたしを遮断してくれていたということもある。が、彼らの言葉から、なにが起こっているかはすぐに察知できた。
 察知して、わたしは逃げることを選んだ。関わり合いになるのはまっぴらごめんだ。血が繋がっているというだけで、どうしてわたしが祖母の面倒を見なければならないのだ? なぜ、苦しめられなければならないのだ? 肉親であるというただその一点で、わたしはその人格をどうしても認められない者の面倒を見なければならないのか? そうではあるまい。そんな非道はうっちゃってしまえばいい。そうひとり決めて、すべてを母に押しつけた。母こそ他人なのだ。父が死んだ今、祖母とはなんの関係もない。
 母を不憫に思い、病床にいるという祖母を思い、しかしわたしはかたくなに祖母を拒否しようとしている。祖母が近くにいれば、わたしの生活は百八十度変化するだろう。彼女がそばにいるだけで、気が狂いそうになる。小説が書けなくなることは目に見えている。わたしにとってなにより大切なのは、小説を書く時間だ。それを奪おうとするものとは、徹底的に闘ってみせる。冷たいといわれようとなんだろうと、わたしは血のつながりというものを拒否する。わたしは母を愛している。弟と妹を愛している。それはしかし、血のつながりではなく、個々人の人格と、一緒に築き上げてきた歴史のせいなのだと信じたい。
 母が不憫だからといって、その重荷を肩代わりしようという気持ちはまったく湧いてこない。なにもしない代わりに経済面だけ受け持つといっても、拒否されるだろう。母はそういう人間だ。
 なにもするつもりはない。それでも心は揺れる。暗く沈み込んでいく。
 なにものにも揺らぐことのない強い存在でありたい。そう願っているのに、そうなれない自分と向き合わねばならない。母の電話はわたしには辛かった。なにもできない−−なにもする気がないくせに揺らいでしまう自分自身が嫌でたまらない。
 わたしはひとりなのだ。家族がいる。妻がいる。友人たちがいる。わたしは彼らを愛している。彼らの存在に助けられている。それでも、わたしはひとりだ。ひとりで行き、ひとりで逝く。この世界にひとりで生まれ落ち、ひとりで彷徨し、ひとりで世界に戦いを挑み、ひとりで死んでいく。それがわたしだ。わたしの望みだ。わたしの闘いはわたし個人に属するものであり、わたしが愛する者たちも、その闘いの中に入っては来られない。
 何度かそういった趣旨の言葉を頭の中で反芻し、やっとなにがしかの落ち着きを取り戻すことができた。
 わたしはひとりだ。あなたもひとりだ。彼らもひとりだ。
 それがわかれば、世界はもっと単純になる。

(2003年11月7日掲載)

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