Hase's Note...


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「三度の沖縄」

 4泊5日の日程で、またまた沖縄に行って来た。今度は、来年の春に新しく連載をはじめる小説の取材だ。
 取材といっても、特にだれかとあってなにかをするということもなく、車で島内を走り回り、たまに図書館や博物館に足を運び、夜は繁華街で酒を飲むということを繰り返す。
 要するに、沖縄という島の空気、日光、匂いを肌に刻み込むのが目的の取材だ。
 相変わらず9月の沖縄の日差しは物理的な圧力を伴って降り注ぐし、スコールも5メートル先の車のブレーキランプが見えないほどの水幕を作って恐ろしい。が、それやこれやの感覚も、東京に戻って3ヶ月もすると薄れていってしまう。
 沖縄にいる間に、十勝沖地震が起こった。テレビをつけるとニュースは地震関連で大にぎわい。だが、ローカル局に中継が変わると、基地から漏れだした油の問題、異常潮位により浸水被害がクローズアップされる。
 米軍基地から油が漏れだして、農業や漁業への問題が深刻化しているなんて、内地の人間はだれも知らないだろう。異常潮位で家屋浸水が頻繁に起こっているなんて、だれも知らないだろう。そんなもんはニュースにならん。実際、うちなーんちゅだって、直接被害に遭っている人間でなければ気にせんものね。
 そういうことなのだ。わたしのような人間をして小説に向かわせるのは、おそらくはそういうことの積み重ねなのだ。漠然としすぎていてなんのことやらわからんだろうが、沖縄にいると、わたしはそのことを直観的に把握できる。
 松山という繁華街の寂れよう。喜納昌吉のライブハウスに満ちている胡散臭い匂い。本部の無惨に削り取られた山肌の赤茶けた土の色。大衆食堂で食べた巨大なトンカツとそこにかけらた甘いソース。お冷や代わりに供されるこれまた甘いアイスティー。読谷村立の博物館で調べものをしていた学生の真剣な眼差し。小説的な物語は、そうした細部にこっそりと潜んでいる。
 そうだ。わたしはその読谷の博物館で新聞の切り抜きに目を通しながら、『弥勒世』のその時代、アポロが月着陸していたということを思い出したのだった。かさかさに乾いた新聞紙の匂いが、記憶を泡立たせる。これはなかなかにスリリングな体験だ。当然のことながら、座喜味城跡にはのぼらなかった。つくりものに興味は湧かない。打ち捨てられたホテルの、巨大な廃墟の暗がりにわたしは吸い寄せられる。
 それにしても沖縄は暑かった。それなのに、うちなーんちゅどもは口を揃えて「涼しくなった。朝晩は肌寒い」と言い放つのだ。
 楽しかったが、悲しかった。楽しかったが、寂しかった。沖縄とはわたしにとっては、そういう場所である。

 で、話は変わるが、このサイトを訪れている沖縄の学生にお願いがある(別に学生でなくても良いのだけれど。いなかったらどうしよう)。アルバイトを募集したいのだ。どこぞの図書館へいって、沖縄タイムズ、琉球新報の縮刷版か切り抜きを閲覧し、1969年から1975年までの一面、社会面等の見出しをデータベース化してくれる人を捜している(県立図書館には、その間の縮刷版はマイクロフィルムしかない)。読谷の博物館に切り抜きがあることは確認してあるんだが、すべてに目を通している暇も、コピーしている暇も、残念ながら今のわたしにはない。
 やってもいいよ、と言われる方は、ウェブマスター宛にメールを送ってください。アルバイト料その他は相談に応じまする。個人でもグループでもかまいません。よろしく。
 あ、それから、親戚、知り合い、他人、なんでもいいけど、周囲の人に、返還前後のころの那覇及びコザのゼンリンの住宅地図持ってる人がいないかどうか、聞いてもらえません? 普通の地図でも大歓迎。

(2003年9月29日掲載)

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