Hase's Note...


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「生誕祭」

 青息吐息で目に涙を滲ませながら、やっと長編『生誕祭』を脱稿した。いやあ、長かったなあ。最初の一行を書いてから、何年経ったんだろう。月刊誌連載ということで毎月約50枚、それで1500枚以上あるんだから、単純計算しても30ヶ月、2年半。連載が終了してからも直しがあって、その直しの途中でパソコンが吹っ飛んで、それからそれから……要するに、一冊の本をしあげるのに、3年以上かかっているわけだ。不経済だなあ。
 しかしまあそれも自業自得だからしょうがない。先日、真保裕一さんとも話したんだが、連載の時点ですでに完成稿を渡せていればなんの問題もない。が、我々のように筆の遅い人間は締め切りを守ることで精一杯で、どうしても後で読み返すと不満が残ることになる。あるいは連載に2年も3年もかけていると、その間にこちらの頭の中身ががらっと変わってしまったりすることもある。だから、本にする前に直さなければならなくなるのだが、これがなけりゃ、もう少し新作の出版速度を上げられるとわかっていても、お天道様から与えられた力には限度がある。
 先日も、銀行で金をおろした後に残高を見たら顔から血の気が引いていって、即出版社に電話をかけ、印税を前借りさせてくださいと土下座した。電話なのに土下座である。我ながら悲しい。
 金がないおかげで、競輪もピンチになった。通帳を見た連れあいが激怒して、今後わたしの競輪道楽にサッカーのイエローカード制を導入するといいだしたのだ。一回負けたらイエローカードが一枚。3枚イエローカードが溜まると、次の競輪は禁止。最初連れあいはイエロー2枚でアウトといっていたのだが、なんとか泣きついて3枚にしてもらった。我ながら悲しい。
 で、ここまで金の話を振っているのはなぜかというと、『生誕祭』がバブル経済真っ盛りの日本、というか東京を舞台にした物語だ。登場人物のすべてが金に取り憑かれている。金を儲けることに中毒している。なのにわたしには金がない。いや、そういうことではない。
 この物語を書くに当たって、いくらか取材した。なんとなれば、わたしはバブル当時弱小出版社に勤め、安月給はすべて新宿の安酒場に注ぎこみ、バブルどころかお先真っ暗の人生を歩んでおり、自分がバブルになんらかの形で関係しいたのは、タクシーが捕まらず、やっと捕まえたタクシーにも乗車拒否され、あげく喧嘩をしたとか、そういうみみっちいものでしかないのだった。
 いやはや、バブルって凄かったのな、話に聞くと。おれ、なんにも知らなかったよ。参っちゃう。バブルのころにいい思いしてた人たちの話を聞くと、沸々と殺意が沸いてくるわい。まあ、そんな感じです。はい。
 そういうわけで、バブルのまっただ中で青春を送っていたというのに、バブルのことをなにも知らず、たった10年ちょい前だというのに、なにもかもが唖然とするほど変わっていて、書くのにこれほど苦労した作品も珍しい。ヴァンクーヴァーやバンコクならいくらでも嘘をかけるが、東京を舞台にした場合、知っている人、覚えている人が大勢いるから、適当に嘘を書けばいいというわけにはいかないのだ(『ダーク・ムーン』や『マンゴーレイン』を適当に書いたわけではないのだが)。
 『生誕祭』はわたしにとって初めて過去を題材にした作品なのだが、それ以上に、初めて主要人物がひとりも死なない作品になった。主人公の設定上、当然といえば当然なのだが、もちろん、最初から目論んでいたことでもある。バブル期はわたしの青春時代と見事に重なる。だからというわけではないが、わたしなりの青春小説を書いてみようという思いもあったのだ。みみっちくてちっぽけなのに、自分の足元さえ見ることができずに上だけを見ていた愚かな日々。
 うまく書くことができたかどうかは自分でもわからない。これまでにわたしが書いてきた小説群とは、根っこは同じでも、枝振りがかなり違う。わたしの読者は、これをどう評価するのだろう。まあ、どうでもいいんだけれど。
 バブルのころのことをひとつ思い出した。我々の学生時代は、今とはまったく違って、就職は楽ちんだった。えり好みさえしなければどんな会社にだって潜り込むことができた。わたしのようなろくでなしの学生のところへさえ、今は潰れてしまったが拓殖銀行を筆頭にいくつかの企業から、一度、就職について話をしてみたいので会社にいらっしゃいませんか、という電話がかかってきた。かかってくるのはいいのだが、それはだいたい平日の午前9時頃で、わたしは5時、6時に自分のアパートに戻ってきて泥酔している。9時に電話でたたき起こされるのはかなわんのだ。だから、ある日、こういった。
 「おれ、共産党員の息子ですけど、それでもいいんですか?」
 それっきり電話はかかってこなくなる。共産党員の息子に生まれつくと、「人間は平等」だなどということがとんでもないでたらめだということがよくわかる。ああ、ろくでなしの学生で良かったなあ。

(2003年4月9日掲載)

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