「極右」
UEFA杯決勝でのフェイエノールトの勝利は、まさしく感動物だった。歴史が生まれた瞬間を、スタディアムで生で観たのだ。いやぁ、役得,役得。小野がプレイしているというだけで、フェイエノールト・サポーターにまじってもなんの違和感もなく応援できる。これほど素晴らしいことはない。まあ、試合後のフェイエノールト・サポーターの暴れっぷりも見事だったが。しかし、地元の人間は、ドルトムントのサポーターを隣町に完全隔離したからこの程度で済んだともいっていた。勝っても負けても、暴れる連中は暴れるのだ。
ロッテルダムは試合前から騒然としていた。試合の二日前に、政治家のピン・フィルスタインが暗殺されたせいだ。自らの国の民主主義の先進性に誇りを持っているオランダ人にとって「暗殺」はあまりにもショックな出来事だったらしい。彼の生家や市民ホールの前には、顕花をする人で行列ができていた。
日本のメディアは彼のことを「極右」の政治家と書くが、わたしが現地で感じたイメージは少し違う。彼はゲイだったし、ものの考え方は進歩的だった。ただ、これ以上の移民は受け入れられないと宣言しただけだ。そのまた数日前にヨーロッパを騒がせたフランスのルペンやオーストリアのハイダーなんかとは、まったく違う次元の人のように感じた。
それに、だ。ルペンにしてもハイダーにしても、日本人がやつらを「極右」などと呼べるのかという疑問がある。
中国の日本大使館での事件を見るまでもなく、わたしたちの母国は亡命者にも移民にもてんで冷たい冷徹な民族主義の国だ。これは極右の典型ではないのだろうか? 長く日本に暮らし、日本の文化を理解している外国人が帰化申請しても、受理され、国籍が与えられるまでには気の遠くなるような時間がかかる。馬鹿げた手続きが無数にある。わたしは友人の中国人が永住権を取得する際に、身元保証人を引き受けたので、日本のそうしたシステムがいかに繁雑で苦労を伴うものであるかをよく知っている。
単一民族国家などという馬鹿げたフィクションを疑いもせずに標榜し(まあ、一度でも疑えば、そんなものはでたらめであることがよくわかるから、疑いたくないんだろう。いっておくが、おれたちの祖先の多くは大陸や朝鮮半島から流れてきた、いわゆる移民だ)、外国人を徹底的に排除する国が、よその国の民族主義者を「極右」呼ばわりする神経が信じられない。ルペン本人だか、ルペンの側近だかに日本研究をしている学者がいて、そいつがこういっていたそうだ。
「わたしたちの理想は日本だ」
彼らが目指しているのは「白い」フランス人のためだけのフランスだろう。そうした視点に立てば、日本が理想の国に見えるのは当たり前だ。
有事法制とメディア規制法案が可決されたら、それこそ日本は世界でも類を見ない「極右」の国になるだろう。なんせ我が国の総理大臣はあのブッシュ大統領が大好きで大好きでたまらないときてるからなぁ。それにくわえて、国民がそうした右傾化になんの関心も持たないとくる。自分には教育がある、先進国で平和に暮らしていると思いこんでいる馬鹿どもが、ただへらへらと笑っている。自分たちが肥溜めに頭まで浸かっていることにも気づかないで、だ。
自由があるから、民主主義の国だから、そこが「リベラル」な国であるとは限らない。日本は徹頭徹尾「極右」的な思考が支配している国だ。自分たちが「極右」であることに徹頭徹尾無自覚な愚か者どもの国だ。
だから、わたしはこの国を愛せない。自分が生まれた国を、自分が育った国を誇りたいのに誇れない。自分が日本人であることを否定できない。だから、わたしは「おまえらクソ溜めに住んでるんだぞ、クソにまみれて生きてるんだぞ、わかってるのか」という内容の小説を書きつづける。
要するに、だから、わたしはいつだって怒っている。わたしにとってまっとうなことが、この国ではまったくまっとうなことではないという現実に苛立つ。他の国も五十歩百歩だと自分にいい聞かせてみても、なんの慰めにもならない。中田や小野の活躍だけが、かすかにわたしを慰めてくれる。
(2002年5月14日掲載)
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