「日本のジャーナリズム」
またもやスペインにいる。この文章を書いている三時間後に、レアル・マドリード対日本代表戦がある。それを観るためにやって来たのだが、しかし、日本からのメディアの数が常軌を逸している。マドリー側の態度は「これは創立百周年を記念したお祭りの一環である」ということに尽きる。トルシエも昨日の記者会見で「明日の試合はフェスティバルのようなものだ」と断言した。
マドリーは主力メンバーの大半が出場しないし、日本だって中田も小野も中村も出ない。こんな試合に、なにが悲しゅうて二百人を越える報道陣が集まらなきゃならんのだ。しかも、旅行代理店の金儲け策にまんまとはまって、マドリード郊外のとんでもない田舎のホテルに押し込まれながら、だ。
このウェブに来てくれる人間にだけこっそり教えるが、日本のメディアって本当に馬鹿ですぜ(W杯に関する余録を狙ってテレビにほいほい出ているわたしがいうのもなんだが。ま、作家なんてそんなものということでご勘弁)。こんな連中が「メディア規制法案反対」なんて訴えても、説得力なんてひとつもない。
選手への取材も、ミックスゾーンというところで行われるのだが、数少ない選手に二百人もの報道陣がハイエナのように群がるのだから、まともな取材などできるはずもない。半数以上の記者は、選手の取材に成功した記者から話を聞いて、それを原稿にする。つまり、だ。また聞きしただけにすぎない話を記事として乗っけるわけだ。これはジャーナリズムなどでは断じてない。
報道陣が選手に襲いかかっている間、わたしは少し離れた場所で、サッカーライターの杉山茂樹さんと談笑していた。晩飯になにを食うかを相談したりしていた。阿呆な報道陣とは違って、我々はサンティアゴ・ベルナベウから徒歩三分の素敵なホテルに滞在していたりする。周囲にはうまいレストランが腐るほどある。治安も、マドリードの中心部に比べてすこぶるいい。阿呆なメディアの人たちは、バスに揺られて小一時間、ホテルについても周囲にはろくにものを食べるところもないというところで空腹をかこつのだろうがねえ。
普段からたったひとりでヨーロッパを歩きまわり、まっとうな仕事を続けている杉山さんは選手に群がるメディアの人間に激怒していたが、気持ちはよくわかる。
だいたい、こういう試合に二百を越える報道陣が集まって、しかし、日本がW杯で惨敗したらどうするつもりなんだろうか。その兆候は充分にある。トルシエのフラット3は弱点だらけのシステムなのだ。ヨーロッパじゃ子供でも知っている事実だ。3バックシステムは4バックシステムと極端に相性が悪い。そのことは、3バックのチームが多いセリエAのチームが、ここ数年、チャンピオンズリーグなどでまったく上位に進出できなくなっていることで証明されたわけだ。
ベルギーもロシアもヨーロッパの国だ。彼らは3バックの弱点を熟知している。実際、ベルギー代表は日本との対戦を頭に入れているとしか思えない4バックシステムを導入した。手抜きのスロバキア相手にあれだけ手を焼いたチームが、日本対策を万全にしてくるベルギーやロシア相手に快勝できるとは思えない。
そういう現実を取材し,分析し、発表するのがよりよきジャーナリズムのあり方ではないかよ。3バックに固執するトルシエの監督としての適性を「トルシエ・ニッポン」などという馬鹿げた応援をするサポーターに訴えてみるのが正しきスポーツジャーナリズムではないのかよ。
日本のメディアは、フーリガンのことを大仰に報道する。しかし、日本がベルギーとロシアに連敗したら、わたし自身がフーリガンになるぞ。おい。暴れるさ。決まってるだろう。日本サッカー協会とトルシエを血祭りにあげてやらねば気が済まないではないか(そこまではしないけどね。でも、言葉の暴力は向けるかもしれない)。金儲けにだけ奔走して、現実を知らせようとしなかったジャーナリズムに牙を剥きたくもなろうというものじゃないか。
個人的にはいわゆる「メディア規制法案」には反対だが(しかし、国が破滅しかかってる、あるいは自身が破滅しかかってるってのに、こんな法律作ってる場合かね、小泉)、テレビや新聞が偉そうに反対キャンペーンを張っている姿を見ると、鼻白む。その前に、おまえら自ら襟を正せよ。ジャーナリズムの仕事をまっとうしろよ。その上での言論統制反対だろうに。
警察の発表を鵜呑みにして裏づけ取材もせずに記事を書き、ニュースを垂れ流し、無実の人間を苦しめたいくつもの事例、他の人間のことは知らないが、わたしはしっかり覚えているぞ。
(2002年5月8日掲載)
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