「料理」
昔は外食しかしなかった。六畳一間のアパートの台所は本が山積みになっていて、料理をしたくてもできない状況にあった。酷かったなしかし、あのアパートの台所は。シンクの中にまで本が積んであったのだ。
自炊をするようになったのは、連れあいと一緒に暮らすようになってからだ。連れあいは昼間はOLとして外で働いていた。わたしは家にいてライター仕事をする。ふたりともあまり金はなかった。外食はもったいない。家で飯を食おう。しかし、連れあいが会社から戻ってきて仕度をはじめるとすると、夕食の時間が随分と遅くなる。ならば、家にいることが多いわたしが食事を作ろうということになったのだった。
ほとんど自炊などしたことがなかったのだから、勝手がまったくわからない。わたしは本好きだ。活字に飢えている。中毒している。活字がなければ生きていけない。だから、なにか新しいことをするときには、必ずそれに類する書物を買ってきて、予習をする。犬を飼ったときもそうだった。十冊ぐらいの躾の本を買ってきて、無駄な知識を一杯詰め込んだ。車の免許を取るときも、車を買うときも、手当たり次第に本を買ってきては読み飛ばした。
料理のレシピ本を数冊買ってきて、おそるおそる料理にチャレンジする。肉や野菜の量も、調味料の量もレシピ通り。ふたりで食べるのに、材料はいつも四人前。もちろん、計量スプーンは手放せない。そんなことを繰り返しているうちに、コツがわかってくる。目分量で調理できるようになる。レシピに書かれてある料理でも、自分好みの味に変えてしあげられるようになる。そうなると、料理が楽しくなってくる。料理が楽しいと、いいキッチン用品が欲しくなる。わたしは無理をしてプロ仕様の包丁を買った。鉄製の中華鍋を買った。フライパンを買った。鍋を買った。料理のレパートリーがどんどん広がっていく。レシピ本を見なくても、スーパーに行って食材を見ているだけで頭の中に完成した食卓の図が描けるようになった。
本当に料理は楽しい。食うのも楽しいが、作るのはもっと楽しい。最高の味つけで仕上がったときには、だれかれかまわず呼びつけて無理矢理にでも食べさせてやりたいという気持ちになる。
料理は楽しい−−しかし、それはある状況下に限定されるということにわたしが気づいたのは、連れあいのおかげだ。
当時、連れあいは六時半過ぎに帰宅することが多かった。従って、わたしは七時を目安に夕食の仕度に取りかかる。料理をする人ならわかってくれると思うが、できあがった直後の、最高に美味しい状態を味わってもらいたい。いそいそとスーパーに出かけ、食材を吟味し、仕度にかかる。が、六時すぎに電話がかかってくる。
「ごめん。今日、同僚と食事に行くことになっちゃった」
連れあいがいう。わたしは呆然とする。直後に、むくむくと怒りが湧いてくる。
「なんだよ、それ。人がせっかく夕食の仕度して待ってるのに。食わないなら食わないって出かける前に言えよ」
「急に決まったんだからしょうがないでしょ。ひとりで食べてよ」
連れあいが怒って電話を切る。わたしはひとり、悄然として取り残される。そして、気づいたのだ。
そうか、料理が楽しいのは、食べてくれる人がいるからなのだ。精一杯作った料理を「美味しい」といって食べてくれる人間がいるからなのだ。だから世のお母さん方は憤るのだ。
「せっかく料理作って待ってるのに、うちのやつったら、また飲みに行ったのよ。だったら、レンジでチンでも文句いわないでほしいわよね」
そうだ。レンジでチンでも文句をいうな。こちとら、暖かい出来たての料理を「美味しい」といってもらうために作っているのだ。冷めた料理を出すぐらいなら、最初から作らない方がましだ。ああ、わたしには主婦の気持ちがよくわかる。
先週、連れあいが旅行に行った。家にいるのはわたしと愛犬のマージだけ。昼はコンビニでお握りを買ってくる。夜はコンビニで弁当を買ってくる。一日だけ、自分でパスタを作った。ブロッコリとアンチョビのパスタ。ブロッコリを柔らかく茹でて、潰しながらアンチョビと炒める。そこにパスタを絡める。ブロッコリの食感が絶妙でとても美味に仕上がったが、ひとりで食べるパスタは味わいがいまいちだった。
五日目に限界が来て、友人に助けを求めた。
「頼む。飯、食わせてくれ。連れあいが旅行に出かけてて、ここんとこ、コンビニの弁当ばっかりなんだ」
翌日、わたしは友人の家に出向き、友人夫妻の手料理を御馳走になった。ワインを飲んで、珍しいことに酔っぱらった。ソファで眠ってしまった。よっぽど、人と囲む食卓に飢えていたのだろう。
翌日、連れあいが戻ってきた。彼女はマレーシアで食べた美味しい食事の話をし続けた。くそー、おれもバクテー(まあ、向こうの煮込み料理の一種だな)食いてえよ。
「ところで、あなた、なに食べてたの?」
「コンビニの弁当」
「自分で作って食べればいいじゃない。そっちの方が百倍美味しいのに」
ちくしょう。来月、わたしはまたもヨーロッパに行く。イタリアとスペインで死ぬほどうまい料理を食ってきてやる。わたしがいなければ、連れあいもコンビニに頼ることになるのだ。しかも、彼女は自分で料理することもできない。ひひひ。
おれは本当に幼稚だなぁと反省しつつ、そう思う今日このごろなのである。
(2002年4月24日掲載)
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