「なんとかならんか」
スペインにいる。昼飯を食べすぎて胃がもたれて、ダルな午後をホテルの部屋で過ごしているわけだが、とある歌のフレーズが耳にこびりついて離れず、大変に困っている。
わたしはよく、布袋寅泰に間違われる。わたしは170センチジャスト、向こうは190センチに近い長身だということはどうでもいいらしく、サングラスをかけていると、本当によく間違われる。博多の魚料理を食わせる店ではサインを所望されたこともある。先輩作家の小池真理子さんは布袋(敬称略になってるな。ま、いいか)と仲が良いらしく「馳君、本当に似てるわよね。我が家じゃ馳君のこと、ミニ布袋さんって呼んでるのよ」などという。
勘弁しろよ、冗談じゃねえぜ、などと思いつつ、まあ、それはそれ、なんとはなしの親近感を布袋に抱いたりもしていたのだが、成田発アムステルダム行きJAL便に乗って、ワインをがぶ飲みして自分が飛行機に乗っているのだという事実を無理矢理曖昧にし、夢うつつでヘッドフォンをかけながら音楽を聴いていたと思いなさい。訊いていたジャズのプログラムが終ったんで、チャンネルをかちゃかちゃいじっておったら、Jポップが流れ出す(しかしなんだ、このJポップってのは。ジャパニーズの略か? 日本人しか聞かない音楽に、そんな形容つけたって無意味だべ。ださいべ。どうなっておるのだ、ほんまにこの国の音楽業界は)。あとは寝るだけだし、最近の邦楽のくだらなさを笑っているのも悪くはあるまいと思いながらうとうとしていたら、布袋の新譜が流れだした。
『ロシアン・ルーレット』。いや、笑うどころの話ではない。眠気がふっ飛んだ。
「自分を貫いて倒れるなら本望さ。自分をごまかして生きるよりまし」
うろ覚えなんで歌詞は間違ってるかもしれないが、おおむね、そんな意味だった。
18、19のガキじゃあるまいし、40過ぎて(過ぎてますよね?)よくこんな歌うたえるもんだ。というか、こんな詩を書けるもんだ(わたしは懐かしがって昔のブルーハーツの曲をよく聞く。自分をごまかして生きるのはやだってテーマの曲が多いんだが、今のハイロウズがブルーハーツの曲やったら鼻白むぞ。ああいうのはガキが力任せに作ったからインパクトがあるんだ)。本人が書いたかどうかは知らんが。唖然とし、呆然とし、しばらく腑抜けのようになった後で、猛然と腹が立ってきた。
いい年こいてこんな恥ずかしい歌を恥ずかしげもなく歌う男とおれは間違われるのか。
間違われることの本質はまったく別のところにあるのだろうけれど、いや、一度点火した怒りの炎はわたしの場合、滅多なことでは収まらない。
BOOWYというバンドが活躍してた時期は、わたしは新宿のゴールデン街で毎晩へべれけになるまで酔いつぶれるという日々を過ごしていたので、このバンドの曲はあんまり聞いたことがないのだが、もう少しまともな曲を演奏していたんではないのか。なんで年とると退化するのだ。なんで年とると恥知らずになるのだ?
そういえば、去年だったか、わたしの連れあいが新しいCDを買ってきて、わたしに問うた。
「この曲、どう思う?」
それは鬼束ちひろの曲で、連れあいは彼女の歌をどう思うかという意味で訊いてきたと思うのだが、わたしは即座にこういった。
「だめ。この歌、おれには聞けない。もうとにかく「この腐敗した」なんていう日本語を平然とうたえる神経がゆるせない」
もう、とにかくゆるせんのだ。言葉に無神経な言葉がゆるせんのだ。
あ、しかし、鬼束の場合、無神経というのとも違うのだな。なにかのテレビ番組で彼女が意識的に−−つまり、こんなフレーズを思いついたわたしの勝ちだ、的な意識でわざわざ書いたのだということを語っていた。
その言葉がダサいということがわかっておらんのだ。なんでわからんのかというと、言葉のもつ力に無頓着だからで、なんで無頓着かといえば、小説を読まないからだ。小説を読まないから日本語がわからない。自分の知ってる狭い範囲の知識だけで世界を構築してるんだから、「この腐敗した」というダサい言葉が、目新しい恰好のいい言葉に思えるわけだ。
小説の新人賞かなにかで、「この腐敗した世の中がうんぬんかんぬん」なんてフレーズが出てきたら、わたしが審査員だった場合、即座に落選させる。手垢に満ちてクソまみれになった言葉を平気で使う神経がゆるせんからだ。そういう人間は小説を書こうなんて思っちゃいかんからだ。意識的に使う場合は別だけれど。
なんとかならんか、Jポップ。
もうね、小説も読んだことない、レコード会社のいいなりになって曲作ってる、そんなやつらに詩書かせるんじゃないよ。昔の歌謡曲はそこんとこちゃんと踏まえてたから、プロの作詞家に書かせてたんだよな。
あゆの歌詞はわたしたちの気持ちを代弁してくれてる。けっ。あんなんで代弁される気持ちって、いや、同情しちゃうな、おれ。お人形さんみたいで可愛いから好きって方がよっぽどしっくりくるな、うん。どっちにしろレコード会社が金儲けのために売れ線の曲作らせてるだけの話じゃないか。誠意もなにもない。若いもんの気持ち代弁してくれるってんなら、山田詠美の小説読んでた方がよっぽどましなんじゃないのか。
まし、といえば、自分をごまかして生きるよりまし。
ああ、どっちにしろ布袋寅泰、この歌、やめてくれ。頼む。言葉が恥ずかしいのは当然だが、40年も生きてきたんなら、自分をごまかして生きざるをえなかった人間が腐るほどいること、わかってるんだろうが。自分をごまかさなくってすむんなら、みんな好きなように生きたいんだよ。媚びるなよ、ガキに。
(2002年4月11日掲載)
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