「我が名はルイス」
映画『少林サッカー』のプロモーションのため、周星馳が来日した。ご存じの方も多いだろうが、わたしが馳星周という筆名を拝借した、香港でも指折りのスーパースターだ。といっても、やはり日本では知らない人間の方が多いか。ジャッキー・チェンと周星馳が九〇年代の香港映画界を支えてきたといっても過言ではないぐらいの人なんだけどね。
まあそれはよい。
わたしは彼の映画が好きで彼の名前を逆にした筆名を使うようになった。彼は彼で、わたしの小説を読んだことはないのだが、日本のベストセラー作家(自分でこう書くのは気恥ずかしいものがあるな)が、自分の名前を逆にした筆名を使っているということに、おおいに感謝してくれている。わたしをリスペクトしてくれる。
そんなわけだから、カンヅメの真っ最中であっても、周星馳からお声がかかったとなれば、飛んでいかないわけにはいかない。配給会社がセッティングした場で対談し、対談が終わったあとは食事を食いにいく。翌日の夜はなにをしてるんだと訊かれれば、特に用事はないと答え、じゃあ明日の夜も一緒に飯を食おうといわれれば、即座にうなずく。
飯を食い、酒を飲みながら、話すのは映画のことであったり、わたしの書いている小説のことであったりするわけだが、酒が進んでいけば、当然、馬鹿話が話題のメインになる。わたしと彼は英語で会話し、話が入り組んでくると通訳に頼る。周囲には配給会社の人間や、周星馳(面倒くさいから、以下、星爺と記す。センイエと読む。彼の愛称だ)のスタッフがいる。日本語と英語と広東語が飛び交っている。わたしは英語を使っていても、彼のことは星爺と呼ぶが、他の日本人は「スティーヴン」と呼びかける。スティーヴンは彼の英語名だ。香港人は大抵、本名とは別の英語名を持っている。
「スティーヴン」わたしは星爺に話しかけた。「おれにも英語名をつけてくれ。みんな、あんたに「星爺」とか「スティーヴン」って呼びかけるのに、おれはいつまでたっても馳星周(チーセンチャウと発音する)先生じゃん。つまんない」
「ファンテースーはどうだ」
星爺が即答する。スティーヴンの逆さ読みだ。
「馬鹿いうなよ。もっとちゃんとした英語名をつけてくれ」
「ファンテースーは気に入らないか? いい名前なのに」
「スティーヴン!」
わたしは星爺を睨む。わたしは酔っている。星爺が苦笑する。
「わかった、わかった。じゃあ……ルイスってのはどう?」
「ルイス? なんでルイス?」
「ルイス・ローってやつがいてさ。こいつが、おれがどこでどの女と会ってたとか、どこぞの女優に手を出そうとしてるとか、あることないことマスコミにばらしやがったんだよ」
ルイス・ローって馬鹿者は実在する。何年か前に星爺が来日したときに、わたしと彼とで歌舞伎町の中国クラブに行ったことがあるのだが、その時に星爺がホステスと一緒に撮った写真までが、ルイス・ローの手によってマスコミにばらまかれたらしい。しかし、あんなプライヴェイトな写真、どうやって手にいれたんだろう。ちなみに、その写真にはわたしもしっかり写っていたそうだ。
「おれは裏切り者かよ」
「いやいや、今のは冗談。本当は、おれがルイスっていう英語名気に入ってるんだ。できればルイスに名前変えたいんだけど、スティーヴンってのはおれのお婆ちゃんがつけてくれた英語名だから変えられない。だから、おまえがルイスだ」
ルイスか。それなら、悪くはない。わたしの好きなサッカー選手もルイス・フィーゴだし。
「よし。今日からおれはルイスだ」
わたしはワイングラスを掲げた。星爺もわたしと同じことをする。
「スティーヴン」
「ルイス」
「乾杯(広東語ではヤンプイ)!!」
こんな具合で、わたしはルイスになった。ルイス馳、ルイス・チー。馬鹿みたいで、とても気に入っている。
いや、それにしても、二晩続いた酒宴はとても楽しかった。星爺のスタッフがいいやつ揃いだったことも、楽しさを倍加させてくれた。あんなに気さくな香港人の集団というのは滅多にお目にかかれない。二日目の夜には、ビビアン・スーが駆けつけてきた。中華圏のスーパースターが来日したのだから当然だろう。気がつくと、わたしの連れあいとビビアンが昔ながらの友人のように仲良く話し込んでいる。初対面なのに、台湾を案内してもらう約束をしている。ビビアンはいい子だった。気さくで飾り気がない。顔がとんでもなく小さい。一緒に写真を撮ると、わたしは二歩後ろに下がらなければ顔のバランスが取れない。
「ルイス」
呼ばれて振り返ると、星爺がにやけている。
「なんだよ? おれ、なにかおかしいことした?」
「今、馳星周って呼びかけたのに、おまえ、ぜんぜん反応しなかったんだぜ。それなのに、ルイスと呼んだら、すぐに振り向いた」
「だって、おれ、ルイスだもん」
我々は口を大きくあけて馬鹿笑いした。
楽しかったなぁ。
『少林サッカー』は傑作だ。この数年間、星爺の作る映画は低迷していたのだが、見事に復活した。映画を見ている間、何度馬鹿笑いしたかわからない。しかし、星爺のギャグを日本人が受け入れられるかどうかは難しい。どうなんだろう。
興味のある人は、是非、映画館に足を運んでみてください。
(2002年3月25日掲載)
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