Hase's Note...


┏-┓
-

「おれたちは絶滅するか?」

 先日、わたしが所属する日本推理作家協会の理事会があった。わたしは奴隷待遇の理事なので、当然、出席する。
 最近の理事会での主なる議題は、図書館、新古書店問題ばかりだ。それだけ、実作者たちは両者の存在に脅かされている、ということになるのだが。
 先日の理事会では、図書館問題に個人として積極的に取り組んでいる作家の楡周平さんを招いて、図書館問題の実体について、簡単なレクチュアをしてもらった。
 で、だれもかれもが驚愕した。
 もはや、書店での本の売りあげと、図書館で貸し出される本の定価合計は、ほぼ同額なのだ。簡単にいえば、だ。わたしの『ダーク・ムーン』が書店で五万部捌けたとして、それとほぼ同数の「のべ」五万冊分の『ダーク・ムーン』が図書館利用者によって読まれている、という計算になる。まあ、これは単純計算だから、実際にはずれが出るだろうけれど。
 こうなってくると、もはや図書館問題は、「しょうがないね」で済ませられるレベルのものではなくなってくる。
 だって、そうでしょう。こちらの経済行為が明確に侵されているんだから。
 我々が問題にしているのは、なにもおれたちの本を図書館に(新古書店に)置くなということではない。まだ新刊書店で動いている新刊書を図書館に置くのはいかがなものかということだ。新刊書店で手に入らない物を図書館で借りだすというのが本来の構図のはずだと、(わたしは)思うのだが、最近の図書館は新刊の、それもベストセラーばかりを購入する。利用者が減ると、予算が降りない。利用者が希望するのはそうしたベストセラーなのだ、というのが図書館側のいい分なのだが、それはおまえしかし、おれたちには到底納得できんいい分だぞ、というわけだ。中には、経費削減のためにブックオフで書籍を購入しようというお偉い図書館関係者がいるというのだから、どうにもならん。
 まあ、この件に関してはどうにもこうにも現行の法律を変える以外はなく、そのための活動には嫌になるぐらいの時間がかかるのだろうけれど、放っておくわけにもいかない。このままじゃ、我々小説家がおまんまの食い上げになる時代がやって来るのは目に見えているからだ。自衛です、自衛。
 本当なら、読者ひとりひとりに、お願いですから図書館や新古書店で「新刊書で買える」我々の本を借りたり買ったりするのはやめてくださいと訴えてまわればいいのだろうが、そうもいかんし、そもそも、図書館やブックオフを利用する人間は、最初から本に金を払うつもりがないのだ、という現実が待ち構えている。
 このウェブを開設した当初に、図書館利用や新古書店利用に関するアンケートを実施したことがあったが、その時にもしたり顔のメールを送ってきた人間がいる。「本は高いんだから、ブックオフや図書館を利用するのは読者の権利だ。そんなに金儲けがしたいのか」とかいう内容の。
 あるいは『ダーク・ムーン』のサイン会の顛末記の回では、一冊にサインしてわたしの懐に入るのはたったの一九〇円ぽっちなんだと書いたら、たったひとりの優しい女性が「そうとは知りませんでした。次からは書店で本を買います」と書いてきてくれたりもしたが。しかし、たったひとりだ。
 これまでも何度も書いているが、ベストセラー作家が印税でうはうはいいながら暮らしているというのは単なる幻想だ。三〇年前ならいざ知らず、今現在では、作家長者番付のベスト5以上の人たち以外はみんな、このままでおれたちは老後も暮らしていけるのだろうかとい不安を抱えながら日々を送っている。もちろん、わたしは同年代のサラリーマンの数倍の年収を稼いでいる。だが、それで大金持ちになれたわけではないし、死ぬまで保証された権利でもない。わたしがこれまでに稼いだ金は、精神に失調を起こす寸前になるまで自分を追い詰めて書き上げた作品に対して読者が与えてくれた価値でもある。また、わたしは大変に運がよい人間だが、わたしと同等、あるいはわたし以上の質の作品を書きつづけながら、同年代のサラリーマンの収入と変わらない、時には少ないという作家は、それこそ腐るほどいるのだ。このままの状況が進行していけば、そうした作家たちは作品を発表する場を奪われる。本を出版できなくなる。書店、新古書店、図書館に並ぶのは、ベストセラー作品ばかりで、他の本は読みたくても読めないどころか、存在すらゆるされなくなるという時代が必ず来る。現に、ベストセラー作家といわれているわたしですら(わたし的には自分がベストセラー作家だという自覚はない。今の日本で本来の意味でベストセラー作家なのは宮部みゆきだけだ)、将来に対する不安に怯え、日々の暮らしを支えるために能力を越えた連載を抱え、「書きすぎだから作品の質が落ちたんじゃないの」と揶揄されたりする。
 それでも「本は高いんだから、図書館や新古書店を利用するのは読者の権利だ」といいはなてるのだろうか、読者は? 自分の読みたい本が読めなくなっても? 執筆年数三年、原稿用紙一五〇〇枚、ページ数五六〇の本が一九〇〇円じゃ高い? 軽い上質の紙を使いながら、定価が高くならないように上下巻にはせずに一巻にまとめるように版元に求めたわたしは大馬鹿者か? 上下巻にした方が懐に入る銭は大きくなるのだが、そうはしたくなかった。できるだけ安い値段で読んでもらいたかった。みんな図書館やブックオフに行くのだから、わたしのそんな努力はアホ丸だしか?
 図書館を利用する人の中には、自分で本を買っても、家に本を置くスペースがないから図書館で借りるのだという人もいるらしい。そういう人に、わたしはこういいたい。買ってください。読んだら、捨ててください。自分の本が捨てられるのは悲しいが、存在意義を見失って利用者獲得にだけ突っ走る図書館を利用されるよりはよっぽどましだ。
 音楽や映像の世界では活字の世界より明確に著作権が保護されている。我々作家も、どうやら本腰をあげなければならない時が来たようだ。遅きに失したということにならなければよいのだけれど。
 小説だけ書いてりゃ事足りるということに、どうしてならんのだろうかなぁ。

(2002年2月3日掲載)

-
┗-┛


[← 前号ヘ] [次号へ →]



[TOP] [ABOUT SITE] [INFORMATION] [HASE'S NOTE] [WORKS] [LIST] [MAIL] [NAME] [SPECIAL]

(C) Copyright 2001 Hase-seisyu.Com All Rights Reserved.