「2001年に一番カッコいいと思ったこと」
車を買って劇的に変化したことといえば、それまではまったく眼中になかった車雑誌を頻繁に読むようになったことだ。たとえば、かつては『ENGINE』という車雑誌に紀行文のようなものを連載していたのだが、雑誌が送られてきても、目を通すことはなかった。しかし、それが今では、毎週、なんやかんやと車雑誌を買ってきては、トイレで目を通している。連れあいに「こんなに車の雑誌ばっかり買ってきてどうするのよ」と叱られている。まあ、連れあいだってファッション雑誌やコスメの雑誌を腐るほど買っているのだから、叱られる筋合いはないと思うのだが。
BMWを購入して三ヶ月と少しが経ったが、相変わらず車の運転は怖くて、楽しい。時間をやりくりして深夜の都内を走っていると、あれはどうなっているのか、これはどうなっているのかと疑問が湧いてくる。ど素人なのだから当然だ。そこで、疑問を解消するためにも車雑誌は必需品になってくるわけだ(一部では、二台目の車を買うために情報を集めているだけだともいわれているが)。
本当に腐るほどの車雑誌に目を通した結果、ただいま一番のお気に入りは『くるまにあ』という雑誌だ。その中の「東京中古車研究所」略してT中研TMというコーナーにはまっている。自動車評論家の福野礼一郎という人が中心になってやっているコーナーなのだが、他誌がメーカーの顔色をうかがって車に甘い評価をくだすことが多い中、ここまで書いてもいいのかよ!? と目を疑いたくなるような車の切り捨てぶりが楽しいからだ。
車雑誌購入歴三ヶ月にして、さすがに週刊で出るような雑誌は買わなくなったが、この『くるまにあ』だけは定期購読しようかなと思うほど、とにかく、書店で見つけると即座に購入している。
さて、ここからが本題。
昨年の『くるまにあ』十二月号で、わたしは久々に、身体中に鳥肌が立つほどカッコいい言葉に遭遇した。
その号の「東京中古車研究所」は大特集を組まれていた。福野礼一郎氏が、中古のビュイック・リビエラという車を購入してから、それを徹底的にばらし、細部を磨き上げ、さらに組み立てて、新車と見間違うほどにピカピカに仕立てあげるという内容だった。総ページ数五〇ページ弱。作業過程を写した膨大な写真と、手順を丁寧に説明する文章。それだけでも驚くに充分なのだが、なによりも痺れたのは、企画の最終ページに書かれた、福野氏の口上だ。
リビエラをばらして磨く作業の合間、福野氏は姉妹雑誌の編集者に「そんなことをしてなにになるんですか?」と問われたという。なるほど、八十万円程度の中古車をピカピカに磨き上げたとして、それが新車同様の値段で売れるわけもない。自分で楽しむにしても、乗りつづければ車は汚れる。その度に、この企画のようなことをやっていたのでは、時間と金がいくらあっても足りない。
福野氏もそのことは重々承知で、中古車を新車同様に仕立て上げることに、意味はないという。わかっていながら、無意味なことをやるのは、趣味と意地と道楽を足して二で割るようなものだという。
そして、次のように続けるのだ。少し長くなるが引用する。
「誰も見ていないが神様は見ている、そういう言葉を知ってるか。宗教的教育を行う国で子供を恫喝するときに使う常套句だが、極上中古車を一人作っているとき、誰も見ていないが神様は見ていると、いつもそう思ってきた。
もちろんクルマの神様である。
クルマは数万点の部品で構築された人智の結晶だ。そりゃメーカーは売ることしか考えてない。ディーラーは金儲けしか考えてない。設計者はクレームとリコール怖さにスキのない設計をしているだけかもしれんし、工場で働いている人は単にやれと言われた通りのことを真面目にやっているだけのことかもしれん。だがのべ数10万人の人間が知恵を絞りモノを考え汗を流して一つのものを組み立てたとき、結果としてマシーンの中に何かが生じる。機械工学の集大成。論理の牙城。人智のエネルギー。執念のパワー。言葉は何でもいい。オレはそいつをクルマの神と呼んでいる。一人の人間には押しはかることのできない巨大な叡智の結集の何か。オレが中古車を直しているとき情熱をささげているものはそれだ。ガレージの中で作業しているオレを上からじっと見ていたのもそいつだ。
そう信じているのだ。」
ああ、カッコいい。信念を持った人間にしか書けない文章だ。対象に底なしの愛情を捧げている人間にでなければ書けない文章だ。
わたしは、機械の中に何かが宿るなどということは信じない。それでも、この文章には感銘を受けて、それこそ何十回となく読み返した。
たぶん、わたしが小説を書いているときに感じているのも同じようなことだからだろう。わたしは神を信じないが、神に祈る。悪魔にも祈る。いい小説を書かせてくれと縋る。おれの頭の中にあるこの想いを、最上の形で小説にさせてくれと懇願する。もっと売れるものを書けばいいじゃないかという人間がいる。おまえなら、一般大衆が好きな、お涙頂載の小説だって楽に書けるだろうといわれたこともある。自分でも書けるだろうと思う。だが、それではだめなのだ。趣味か意地か道楽か? 違う。わたしは自分の望むものを書きたい。そのために、神に祈り、悪魔に祈る。藁にも縋る。わたしが小説を書いているときに、わたしをじっと見ている何かがいる。それは神ではない。わたし自身だ。
まあ、いい。とにかく、福野氏の文章にわたしは痺れた。この文章を読めただけでも、免許を取った甲斐がある。車を買った甲斐がある。
2001年で一番ダサいと思った文章を並べようかとも思っていた。それはWWF関連のムックで読んだアメリカ在住の日本人プロレス記者のクソみたいな一文なのだが、ボロクソにけなしてしまいそうなのでやめる。自分の見たい現実しか見ない人間は、アホのまま生き、アホのまま死んでいくのだろうなと書くのみにしておく。
今年も、カッコいい文章が読めるといいなぁ。
話は変わるが、もうすぐ10万ヒットですね。ありがたきことで。で、突然、思いついたのだが、10万人めのお客さんに、チャンピオンズリーグ・アーセナル対ユヴェントスとマンチェスター対ボアビスタの、プレス用のオフィシャルガイドブックを二冊まとめて1セット、プレゼントしようと思うのだが、どうか? サッカーに興味のない人間にはしょうもない代物に思えるかもしれないが、レア物ですぜ、旦那。
記念すべき10万人目のお客さんは、WEBマスターに連絡するように。
(2002年1月4日掲載)
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