Hase's Note...


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「パブリシティは辛い」

 ゲロが出そうなほど辛い十日間だった。ヨーロッパから帰宅したのも束の間、ろくに休みを取ることもできぬまま、『ダーク・ムーン』発売のためのパブリシティ活動に駆りだされる。
 まずは雑誌や新聞のためのインタヴュー。某一流ホテルのスイートに六時間も閉じ込められ(しかし、スイートっていってもしょぼい部屋だったなあ。日本は本当になにもかもが貧しい国だぜ)、入れ代わり立ち代わりインタヴューを受ける。同じ質問が繰り返されて脳味噌はショートする。煙草の吸いすぎで舌と喉が荒れる。コーヒーの飲みすぎで胃が荒れる。
 なんでおれがこんなことに付き合わなきゃならないんだ、と思う。
 いやいや、これも生活のためだと自分にいいきかせる。
 クソみたいな考えだが、今年の新刊は『ダーク・ムーン』一冊きり。おまけに、今現在続いている連載は二本だけ。原稿料収入も少ない(文芸誌の原稿料を知ったら、みんな驚くぞ。安すぎて。わたしも時々暴れたくなる)。『ダーク・ムーン』の売れ行きが、わたしの今年の年収を決める。税金をむしり取られた後の預金通帳には微々たる残高があるだけだ。BMWだって、頭金を少し払っただけで、後はローンを組んで買ったのだ。
 くたくたになって六本のインタヴューをこなしたというのに、翌日になって、また編集者から電話がかかってくる。もう一度ホテルの部屋を取って集中インタヴューを行ないたい。
 もう、どうにでもなれ。わたしはインタヴューを引き受ける。再び、脳がショートする。舌と喉と胃が荒れる。
 インタヴューが終わると、次はサイン会だ。紀伊國屋新宿本店を皮切りに、神戸、大阪と関西を周り、首都圏に戻ってきて厚木で締め。四日間の強行軍。もちろん、その間、小説を書く暇など作れないから、サイン会ツアーに出発する前に書きだめをしなければならない。
 ツアーに出発する前に、肉体はすでにぼろぼろだったりする。
 新宿の紀伊國屋には百人を超す読者が来てくれた。なんでも、今時、サイン会に百人以上の人が集まってくれる小説家は十人もいないとの話だ。ありがたい。だが、『ダーク・ムーン』は『雪月夜』以来の新刊。つまり、サイン会も一年ぶりということになる。しょっちゅうやっていれば別なのだろうが、百人にサインすると(実際には、ひとりにつき数冊のサインをすることもあるし、書店用にサインもしなければならないので、二百冊以上の本にサインすることになる)、腕が棒になる。握力がなくなる。筋が痛くなる。腕の痛みが取れないうちに、翌日のサイン会がはじまってしまう。
 笑顔を絶やさず、紀伊國屋以外の店では、読者のひとりひとりとポラロイド写真におさまりながら、心の中で「これ一冊サインして、おれの懐に一九〇円」と呟く。
 一九〇円−−なんともいじましい世界ではないか、ん?
 神戸から大阪に移動する電車では小学校の修学旅行の車両に押し込められ、乳臭い、汗臭い、お菓子臭い空気に辟易させられる。爆睡するぞと誓った帰りの新幹線も、名古屋から乗ってきたおばさんふたり組の遠慮のない馬鹿話のせいで眠れずに終わる。東京駅に降りたつや、すぐにタクシーに積めこまれて、ラジオ出演。それも終わるやいなや、またもタクシーに押し込められて品川へ。日本推理作家協会とサントリーの共同イヴェントに出席。眠気をこらえてトークショーをこなし、酒を飲み、サントリーと毎日新聞のお偉いさんの挨拶を受ける。
 トークショーに参加した他の五人の作家がわたしの『ダーク・ムーン』をしげしげと眺め、「馳、一五〇〇枚もよく書いたな」「これで一九〇〇円か? おれの本なんか、一二〇〇枚で一九〇〇円だぞ。もっと安くしたかったんだけど、採算が取れないからだめだっていわれてよ。売れてる作家は違うな」などなど、勝手なことをいう。
 みんな、知ってたか? わたしの本は安いのだ。くそ。
 厚木には愛車で行った。雨はやみそうもないし、東名高速は死ぬほど混んでいた。これでサイン会に人がいなかったら、おれは絶対に暴れてやるぞと思ったのだが、雨の中、しかも店の外に並ばされたというのに、大勢の読者がわたしを待っていてくれた。
 ありがたい。辛かったが、多くの人が来てくれた−−それだけが唯一の慰めだ。
 中でも、金がなくて本は一冊しか買えないけど、三人一緒に写真を取ってもらってもいいかといってきた若造三人衆。笑わせてもらった。心を和ませてもらった。だけど、二〇〇〇円ぐらい持っておけよ、おい。今時、二〇〇〇円じゃ居酒屋に飲みに行っても足りないだろう。『ダーク・ムーン』なら一晩、いや、二晩は楽しめるはずだぞ。おれが三年もかけて書いたんだからな。しかも、百円お釣りがくる。
 −−書いていてい自分が嫌になってきた。
 というわけで、まだ身も心もくたくたなのだが、今週は香港に行ってこなければならない。来年後半に書く予定の小説の取材と、連れあいの慰労を兼ねた旅行だ。うまいものたらふく食って、久しぶりの友人たちに会って、疲れを癒してくるつもりだ。
 でもって、十二月の頭には、六日間で五試合を見るという恐怖の欧州サッカー旅行が控えており、その後は恒例の年末進行−−地獄の締切の日々がわたしを待ち受けている。
 だいじょうぶか? だいじょうぶだろう。そう自問しつつ、わたしの顔の筋肉は引き攣っている。
 もしわたしが倒れたら、わたしの連れあいと愛犬のために、わたしの本を買ってやってもらいたい。
 

(2001年11月10日掲載)

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