「適性検査」
ご存じの方も多いのだろうが、自動車免許を取得するために教習所に行くと、適性検査というものを受けさせられる。わたしも受けた。受けなければ、免許を取らせてくれないらしいから。
で、先日、その検査の結果を受けとった。
わはははは。
まず、最初に目につくのは、総合評価という欄だった。運転適正度が1から5までの五段階判定で3、安全運転度がAからEまでの五段階評価でD。わたしは、どうやら安全運転ができないタイプの人間らしいと告げられる。
その後に続くのが各項目の判定結果。わたしは三十六歳だし、毎日酒びたりだし、運動といえば犬と散歩をするだけだから、運動神経、反射神経が衰えているのは自覚している。それだけに、運動機能の各項目がおおむねAからEの五段階評価でCというのは納得がいく。運動の安定性だけがB。まあ、そんなものだろう。
笑いがとまらなくなってくるのは次の項目からだ。まずは健康度・成熟度というわけのわからない項目。身体的健康は問題がないらしいのだが、精神的健康度(心のすこやかさ)は三段階評価でB、社会的成熟度(つねに心のおちつきやゆとりがあり適切な行動がとれる)では、なんと三段階評価で最低のC。そうか、おれは社会的に未成熟なのか、そのとおりだなぁ。
その次か、性格特性とかいう各項目で、ここはおおむね、三段階評価でAかB。これは問題なし。最後が、運転マナー(常に交通ルールを守って安全運転をしようとする心構えや、その習慣)が、最低評価のC。
わははは、やはりわたしは社会的無法者なのだ。
ここまででも(個人的に)充分に笑えるのだが、総合診断に目を通すと悶絶しそうになった。
まずは、原文を抜粋する。
『明るい性格で社交性があります。知らない人とでも親しくなれる人の良さはありますが、その反面、好き嫌いが激しく、嫌いなことになると徹底的に嫌う面があります。そのため、人と衝突することが多いようです』
ここまでは、お節ごもっとも、いつだってわたしが悪うございます、と頭を下げたくなる。わたしはいつだって好き嫌いが激しいし、馬鹿者だと断じた人間は徹底的に見下す性質がある。
『−−中略−−めったに怒ったり、イライラすることのない情緒の安定した人です。運転には穏やかな気分が大切です』
しかし、この部分、最初の診断と矛盾してるんじゃねえかと思っていると、次に、太文字で〈安全性についての注意点〉と記された文章が続くのだった。
『他の車に追い越されると頭にきて追い越しをかけたり、いじわるしたくなるような未成熟な面があります。−−中略−−しかし、あなたのマナーはあまり良いとはいえません。事故を起こしてしまってからでは手遅れです。よく注意してください。あなたは非常にまじめな人か、多少背伸びをしたがる人のどちらかです。後者の場合は、その点を改めましょう。−−後略−−』
わたしは、めったに怒ったり、イライラすることのない情緒の安定した人、ではなかったのか? 情緒が安定していても、もってうまれた性質でもって、マナーを守らない運転をしてしまうのか?
たしかに、もう十年ほど前のことだが、若い衆が運転する車の助手席に乗っていたわたしは、高速道路上で「何人たりともおれたちの前を走らせるな」と叫びまくっていたこともある。わたしは交通社会上の無法者に違いない。
だけどさ、三十六だぜ、おれ。やむにやまれぬ理由があって免許を取得しようとしてるだけで、花村萬月のように違法な走り方をしようなんて気持ちはこれっぽっちもないんだぜ。まったく車に興味がなかったし、ハンドルを握ったこともなかったから、時速四十キロを越えてスピードをあげると恐怖感が先に立つんだぜ。
車に乗るようになって、二、三年も経つと、それでもやはり、わたしは無法者になってしまうというのか。
なってしまうのかもしれないなあ。それが怖いなあ。
話変わって、小泉純一郎の靖国前倒し参拝をどう思いますか、というメールが来た。
前倒しがどうのこうの以前に、わたしは小泉は阿呆だと思う。靖国にこだわる政治家はクズだと思う。あの戦争で犠牲になったのは、なにも従軍した兵士だけではない。戦地ではない場所で、貧困や飢餓、爆撃、あるいは思想統制の犠牲になって死んだ人間も大勢いる。そういう死者たちのことを慮りもせずに兵士の死だけを追悼しようという人間の性根がわからない。普通に考えれば、靖国より広島や長崎、沖縄に行くんじゃないのか? あの戦争で銃も持たずに死んだ人、戦後に辛い目にあった人たちに謝るのが筋なんではないのか? 軍人や兵士ではなく、銃後の市民の犠牲の方が重大だし、日本という国のありようと戦争に真摯に反対した揚げ句に国家権力によって拷問されて死んでいった人たちの無念さの方が大きいと、わたしは思う。わたしは無神論者だが、もし魂というものがあると主張するのなら、そういう人たちの魂をこそ慰霊すべきではないか。そういう人たちの犠牲の上に、こんにちの日本があるのだと感謝すべきだろう。もっとも、今の日本を見て、当時の人たちがこの国は素晴らしいというとは思えないが。
靖国参拝にこだわる政治家というのは、自分は愚かな人間ですと宣言しているか、実は右翼のさる筋からお金をいただいているのですと宣言しているようなものだとわたしは思うのだが、どうも日本人という民族はそういうことを考えもしないらしい。おかみはいつだって正しいのだ、間違っているように見えても小泉純一郎のすることには意味があるのだ、と思いたがっているように見える。政治家ってのはそもそも薄汚い存在なんだけれど。権力という装置は、どうしようもなく腐敗するものなのだけれど。
それ以前にこの国で与党の政治家を志すような人間の性根を見ればいい。連中は最初から腐敗しているのだ。実際、小泉純一郎という男が、あるいは田中真紀子という女が、日々それを証明してくれてはいるのだが。
もうひとつつけ加えれば、一サッカーファンとしても、腹立たしい。彼らは、ワールドカップがどれだけ注目される世界的イベントなのかがまるで理解できていないに違いない。少しでも外交的な能力があるのなら、この時期に韓国との関係がまずくなるような愚策は取るまい。政治的にも経済的にもマイナスでしかない。愚かな信念があって、どうしても靖国に行くのだと決めていたとしても、多少なりともまともな頭を持っていたら、二〇〇三年以降に持ち越したはずだ。そういう決断を「政治」という。連中は政治能力と想像力が決定的に欠落しているのだ。その点に関しては、自民党の政治家に限らず、日本国民も同罪だ。
要するに、あいつら本物のクズなんだよな、クズに日の丸振って喜んでいる日本人の大半も阿呆なんだよな、というのがわたしの意見である。
わたしの意見である、というところが大事なのであって、この件でわたしと違う考え方をする人もいるだろうが、そんなことは、当然ながら、わたしの知ったことではない。
(2001年08月23日掲載)
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