「うまいもの紀行」
やはり、パルマは素敵だった。今回、人に薦められて行ったリストランテで食べたプロシュートには、なんと製造者の名前と製造年がメニューに書きこまれていた。
プロシュート・ディ・パルマ “ルイージオ”1998
ワインでいうところのワイナリィが「ルイージオ」というわけだ。三年物の生ハム。いったいどんなものだろうと口に放りこんで、まず、絶句。ハムが口の中で溶けていく。塩味と肉の風味が絶妙に混ざり合って、舌に絡みつく。いやはや。世の中にこんなにうまいものがあるとは……しかし、おそらくこれはパルマでしか食べられないのだ。今回の旅で、わたしはミラノでもボローニャという中都市でも、プロシュートを食べた。どこで食べるプロシュートもそれなりに美味しいのだが、絶対に−−繰り返すが絶対に、パルマで食べるそれとは比較にならない。
パルマには一泊しかできなかった。プロシュートも一度しか食べられなかった。悔やまれる。あの味は、一生忘れられない。
さて、今回のイタリア旅行は、雑誌「ナンバー」の企画で行ったもので、旅行の主だった話−−サッカーやらなんやらは、原稿を書かなければならない。ここでは、原稿には書かないものを少しだけピックアップしてみる。
パルマの唯一の欠点は、宿泊施設が貧弱だということだ。今回、わたしが泊まったホテルも、一応三つ星はついているが、部屋は狭く、バスタブもない。電話は旧式のもので、ネットに繋ぐなど言語道断。しかし、後でイタリアに詳しいサッカーカメラマンに聞いたところ、この貧弱なホテルがパルマで試合がある時のユベントスの常宿なのだそうだ。前もって知っていれば、写真のひとつも撮っておいたのだが。しかし、ユーヴェの選手もこのホテルでは不満たらたらだろうなぁ。
ユベンティーノのために−−パルマ駅を降りたら左手に進む、そこで真っ先に目に飛び込んでくるホテル。トリノでは難しいだろうが、パルマで試合がある時にこのホテルの周辺で出待ちをしていれば、デルピエロにだって、会える。ミラノから電車で一時間。熱狂的なユベンティーノなら、試してみる価値はある。
プロシュートもうまいが、ボローニャ・ソーセージもかなりいけている。ボローニャの中心、ネプチューン広場のバルのウェイターに教えてもらったリストランテで、コールドミートの盛り合わせというのを注文した。プロシュートと別のハム、サラミ、それにボローニャ・ソーセージの盛り合わせだった。プロシュートはまあまあ(同行した人間が「列車で四十分の距離で、こんなに味が違うんですか」と驚いていた)。名前はわからないが、もうひとつのハムとソーセージが、絶品。名品は理由があって名品になるのだということを再確認。
ミラノもけっこういけている。食事は、イタリア取材によく来るサッカー関係のカメラマンに教えてもらったところにばかり行っていたので、外れはなし。パルマには負けるが、ミラノもやはりそれなりに食の都なのだった。食以外では、やはりショッピング。わたし、自慢ではないが、海外では滅多に買物をしない。わたしが買う服といえばゴルティエ一点張りだし、鞄は持たない。靴にもこだわりはない。しかし、ミラノを歩くと、その気持ちが変わってくる。デザインがよくて、ものがよくて、おまけに安い。靴にいたっては日本の半値以下だ。おもわず、プラダで(ミラノに行く前なら、プラダで買物? けっ! という感じだったろう)革のジャケットを衝動買いしてしまった。ミラノはウィンドウ・ショッピングをしているだけでも楽しい。素敵な街だ。今までないがしろにしていたことを、素直に謝ろうと思う。
おまけ−−中田英寿。
ミラノのモンテ・ナポレオーネを歩いていると、中田にばったり出会った。
「馳さん、なにしてるのこんなところで?」
「ヒデ、こんなところでなにしてんだよ?」
お互いに声を出しあって、その後で、笑った。中田はひとりで歩いていた。日本人が腐るほどいる通りなのに、驚き。だけど、あれほど「おれに声をかけるな」オーラを放たれると、声はかけにくいかもな。しかし、ミラノよりもずっと狭いペルージャを歩いていたって、中田と出くわすことなんかなかったのに、と思うと、なんだか楽しい。
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