「ROCK THE WORLD」
仕事をする時は、たいてい音楽を聞いている。ヘッドフォンを装着して、大音量で。ほとんどは威勢のいいロックで、気分を攻撃的にしていく。「てめえら、ファック・ユー!!」といった感じの曲が、多い。
そもそも、わたしの十代はブリティッシュ・パンクと共にあった。わたしが生まれ育ったのがど田舎だったという事情もあるが、当時はアナログ・レコードしかなく、当然、貸しレコード屋もなく、我々ロウティーンの少年たちは、なけなしの小遣いをやりくりして、一、二ヶ月に一枚ぐらいの割合で、自らの耳で厳選したミュージシャンのアルバムを買っていた。買えなかったレコードはどうしていたか? ラジオに縋る。エアチェックをまめに行なって、ラジオで流れる曲をテープに落としていたのだ。
幸いなことに、我々の仲間には、医者の息子がいた。彼も大の音楽好きで、我々からみると天文学的な額の小遣いで、膨大な数の海外ミュージシャンのアルバムを買い漁っていた。もちろん、我々はその恩恵を喜んで浴びた。
彼の家は、正月は決まって海外で迎えた。あれはもう、二十年以上も前になるのか、彼はロンドンで正月を迎え、帰国するなり、我々に招集をかけてきた。
「凄いアルバム買ってきたぜ。いま、ロンドンで一番流行ってるバンドなんだ」
それが、SEX PISTOLSの『NEVER MIND THE BOLOCKS』だった。放題は『勝手にしやがれ!』だったか−−酷いタイトルだ。沢田研二の「勝手にしやがれ」は名曲だが。
話を戻す。我々は、北海道のど田舎に住んでいながら、ロンドン・パンクが日本に紹介されるはるか以前に、ピストルズの衝撃のデビュー作を聞いていたのだ。
ピストルズは−−いや、ジョニィ・ライドンは、だ。ピストルズで重要なのは彼ひとりだった。シド・ヴィシャスは最低のクズだった。ジョニィ・ライドン(ジョン・ロットン)はまさしく衝撃だった。それまで、我々は米英のハード・ロックを主に聞いていたのだが、少なくともわたしは、それ以降、パンクしか聞かなくなった。ピストルズはすぐに解散したが、THE CLASH,THE JAM,STRANGLERS,THE DAMMNED 他にも様々なバンドのアルバムを、たまに自分で買い、それ以外は医者の息子に買わせて、聞きまくった。それはわたしが高校を卒業するまで続く。大学入学、上京と共に、酒びたりの日々がはじまって音楽どころではなかったからだ。だいたい、二十歳までのわたしの部屋には、プレイヤーどころかカセットデッキすらなかった。田舎でわたしが買い集めたレコードはすべて、実家の倉庫の中で眠っていた。耳にするのは新宿の薄汚い酒場でかかるラジオやカセットデッキから流れてくる音楽。ロックもあればジャズもあった。ソウル、ゴスペル、演歌ばかりを聞いていたこともあれば、六十年代七十年代の日本の歌謡曲を聞いていたこともある。あの頃の日本の歌謡曲は素敵だった。歌っているのは人形のようなアイドル歌手たちでも、作詞作曲、アレンジに味がある。
昔買ったレコード、医者の息子に買わせたレコード、そうではなかったレコード−−いまのわたしはCDの再発盤を買い漁っている。新しい音楽、ヒット・チャートを賑わしている最新の音楽は、ほとんど聞かない。今の音楽は邦楽洋楽を問わず、本当につまらない。リスナーにおもねっている音楽ばかりだ。松任谷由美が先鞭をつけ、小室哲哉が完成させた類のポップ・ミュージック。頭がくらくらする。吐き気がする。浜崎あゆみのような連中がアーティスト? 馬鹿をいえ。昔はああいう女どもをアイドル歌手といったのだ。アートとはまったく無縁の存在だったのだ。ロック・バンドを自称する連中も似たようなものだ。形態をバンドにしただけで、中身はやはりアイドル歌手。レコード会社は世の中をなめきっている。
しかし、それもしかたないだろう。中身のない空虚な連中が歌い、演奏する曲に、自分を重ねあわせる憐れなリスナーが腐るほどいる。だから、CDが数百万枚も売れる。なんとも空恐ろしい世の中だ。
わたしはビリー・ジョエルを聞きながらこの文章を書いている。彼のヴェトナム戦争を歌った曲で、文章がとまる。この曲を聞くと、わたしはいつも心臓を鷲掴みされたような気分になる。人をそんなふうにする曲は、九十年代以降、一度も耳にしたことがない。
(2001年04月26日掲載)
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