「香港 1」
前回に続いて、香港の話。
かつては、多いときなら一年に四、五回ほど香港に遊びにいっていたが、最近はスケジュールの都合のせいでそうもいかなくなった。なに、ヨーロッパにサッカーを見に行くのをやめればなんとでもなるのだが、ヨーロッパに行きませんかといってくれるのは今のうちだけだと確信しているので、せこく、こすっからく、そういう話が来たときは絶対に断らないようにしているのだからしかたがない。
それでも、香港に行かない年はない。スケジュールを無理矢理こじ開けてでも、わたしは年に一度、香港に行くことを自らに課している。香港には友人が大勢いて(ちなみに、日本にはわたしの友人は少ない。知り合いは多数いるのだが)、彼らの顔を見たいというのも理由のひとつだが、なんといっても、うまいものを食いたい−−だから、香港に行く。
うまいものを食うということになると、香港を訪れる時期もおのずと決まってくる。秋だ。上海蟹のシーズンだ。
わたしは、実は上海蟹の実はそれほど好きではない。あの細く小さい足をほじくりながらちまちま食うのがどうしても好きになれない。あれを食うぐらいなら毛ガニやタラバの方がよっぽどましだ。しかし、上海蟹の味噌となると話は違ってくる。
もう何年も前から、香港では上海蟹の味噌を使った料理というのが流行になっている。あれは三、四年前だろうか、上海蟹は好きじゃないといい張るわたしに、香港人の友人が、じゃあこれを食べてみろと、上海蟹味噌入り小龍包というものを注文した。一口食べて、わたしは絶句した。絶品。マンゴープリンにも負けず劣らない味と衝撃。世の中にこんなうまいものがあるのかと感動した。思い出しただけで唾が湧いてくる。
さらにその翌年、わたしは同じレストランで豆腐の上海蟹味噌炒めなる料理を食べさせてもらった。味噌入り小龍包を上まわる衝撃にわたしは打ちのめされた。今の季節が秋ならば、今すぐにでも香港に飛んでいきたいほどだ。どちらの料理も、上海蟹をまるまる一杯食べるよりははるかに安い。そして、美味だ。
以来、わたしは十月半ばから十一月の初旬にかけての時期に、香港を訪れるようにしている。わたしが香港へやって来たことを香港の友人たちに告げると、「それじゃ、今夜は蟹味噌の料理ですね」と勝手にレストランを予約される。わたしは涎を垂らしながら、夜がくるのを待ちほうけることになる。
香港でうまいものはなにも上海蟹の味噌だけではない。数年前からはまっているのが、中華風鍋、いわゆる火鍋だ。火鍋はそれこそかなり前から香港でも台湾でも食することはできたのだが、これまた三年ほど前、香港人の友人が「ここの火鍋が美味しいんですよ」と連れていってくれたレストランの火鍋が絶品だったのだ。なにがうまいといって、スープと魚団子が信じられないほどにうまい。スープにはとろみがつくほどのこくがあり、魚団子にいたっては、日本のつみれと同じように作られているとは思えぬほどに弾力があり、味が凝縮されている。
「どうしてこんなに美味しい店を今まで教えてくれなかったんだよ」と友人を罵ると(わたしはそういう人間なのだ)、彼は「ぼくも二、三ヶ月前に日本人に教えてもらったばかりなんですよ」と答えた。なるほど。食の道は深い。
とにかく、年に一度の香港訪問では、蟹味噌料理とこの火鍋は外せない。それ以外の日々は、新しいレストランを開拓したり、かつて食べて感激した店を再訪することで潰される。地元の人間を友人に持つと、それこそガイドブック片手では決して見つけられないような料理に出くわすことができるから幸せだ。
しかし、困ったこともある。香港に行くという知人は、必ずわたしに「香港で美味しい店を教えてくれ」と訴えてくる。しかし、だ。わたしは常に香港人か、もしくは香港に在住する日本人の友人たちにおんぶに抱っこで香港での食をまかなっている。従って、店の名前も住所も電話番号もろくに覚えていないのだ。
銅鑼湾のあの火鍋屋に行きたい、今日はスラムにあるあの四川料理屋がいい−−そんなことばかりいっているわたしに、人にうんちくを垂れる能力があるはずもない。
「なんだ、香港に詳しいっていってたのに、ガセじゃねえか」
わたしの周りにはそう思っている人間が少なからずいると思うが、決してガセではない。わたしはわたしなりのやり方で香港を把握しており、わたしのやり方では決して他人には通じないということだけなのだ。
ああ、それにしても香港に行きたい。仕事のことはすっかり忘れて、うまいものをたらふく食いまくりたい。
(2001年03月13日掲載)
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