Hase's Note...


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「マンゴープリン」

 はじめて香港を訪れたのは、もう十年以上も前のことになる。小学生のころに衝撃を受けたブルース・リーからはじまって、ジャッキー・チェン、「ミスター・ブー」シリーズなどのカンフー香港映画は好きで見ていたものの、当時のわたしは香港自体にはとんと興味がなかった。というよりも、日々の酒代をどう工面するかを考えるのが精一杯で、海外に行ってみたいと考えたことすらなかった。
 そんなわたしに「香港に行かないか」と声をかけてくれたのは、日本冒険小説協会会員であり、協会公認酒場『深夜プラス1』での飲み友達でもあったよしだまさしさんだ(よしださんのHP『ガラクタ風雲』は http://homepage2.nifty.com/GARAKUTA/)。
 よしださんは九十年代日本の香港芸能おたく界における伝説的人物なのだが、八十年代からすでに香港映画にはまっていた。香港にも何度も訪れていた。よしださんは香港の美点を数えあげては、わたしに一緒に行こうと誘ったが、なんのことはない、当時の貧乏人が海外に行こうとすれば、格安パッケージツアーを利用する以外に手がなく、そのツアーを実行させるためには、ある程度の人数を集めなければならないというだけのことだった。要は、わたしは数合わせの一員にすぎなかったわけだ。
 酔っぱらっていたわたしは、よしださんの口車に乗ってしまった。ツアーに参加したのは日本冒険小説協会のメンバーばかりで、みな気心が知れていたというのも、わたしが香港行きを決意した理由のひとつだろう。香港行きの日程はゴールデンウィークの後。もちろん、ゴールデンウィークは旅費が高くなるから回避されたのだ。
 五月半ばの香港は暑かった。死ぬほど暑かった。北海道生まれのわたしには、それだけで香港を憎むに値した。ツアーに参加したメンバーには、それぞれの香港での目的があった(たとえばよしださんは、香港映画関連グッズを求めて東奔西走していた)。だが、わたしにはなにもなかった。金もなかった。目的もなくくそ暑い香港の街並みを歩き、暑さに耐えかねると、手近にあるショッピングモールに駆けこんでは涼をとった。香港への呪詛を口にした。
 しかし、香港で食べる食事は美味だった。死んでもいいと思えるほど美味だった。しかも安価だった。普段、牛丼やハンバーガーばかりを食べていたわたしには、それだけで香港は愛するに値した。
 あれは三泊四日香港旅行の最後の夜だったと思う。我々は九龍サイドの尖沙咀からスターフェリーに乗り、中環にある「桃源酒家」というレストランに向かった。よしださんがかつてそこで食事をしたことがあり、とてつもなく美味だったと主張したからだ。
 よしださんは正しかった。「桃源酒家」の食事は本当に美味だった。紹興酒に漬けて蒸した海老を食い、カシューナッツと一緒に炒めた鶏肉を食べた。ビールで酔い、紹興酒で酔っぱらった。腹も膨れ、適度に酔ったわたしは、とてつもない幸福感を感じていたはずだ。料理をすべて平らげたあと、メンバーのほとんどがデザートのメニューに目を通しはじめた。わたしはひとり、紹興酒を飲み続けた。当時のわたしは甘いものは、口に入れるのもいやなほどの辛党だったのだ。
「おまえ、せっかく香港に来たんだから、最後の夜ぐらい甘いものも食ってみろよ」
 だれかにそういわれて、それもそうだなとわたしが思ったのは、多分に、美食と美酒がもたらした幸福感のせいだったろう。わたしはまわってきたデザートのメニューに目を通した。杏仁豆腐−−パス、タピオカ−−パス、ごま団子−−パス。甘いものを食べるのはいいが、甘すぎるものはいやだ−−そう考えていたわたしの目に飛び込んできたのが、「マンゴープリン」という文字だった。マンゴーならだいじょうぶだろう、そう思い、わたしはマンゴープリンをオーダーした。それがわたしの人生を変えた。大袈裟でもなんでもなく。
 運ばれてきたマンゴープリンは、わたしの想像を遥かに越えて美味だった。もちもちとした食感とマンゴーの甘みと酸味が絶妙にブレンドされていた。
「うまいよ、これ。マジでうまいよ!!」
 一口食うなり、わたしは叫んでいた。わたしの勢いに気圧されたのか、他の人間もマンゴープリンをオーダーした。そして、叫んだ。
「美味しい!!」
 いやはや。わたしには、今でもあの時のマンゴープリンの味が忘れられない。
 次に香港を訪れたとき、わたしは「桃源酒家」に足を運んだ。マンゴープリンをオーダーした。しかし、あの時の感動を味わうことができなかった。失望したわたしは店の人間を呼び、不満を漏らした。すると「申し訳ない。デザートのコックが他の店に引き抜かれてしまったんだ」という答えが返ってきた。
 あれほどのマンゴープリンを作る腕だ。他の店に目をつけられても仕方はない。しかし、わたしのこの気持ちはどうしてくれるのか。
 それ以来、わたしは香港で新しいレストランを訪れるたびにマンゴープリンを頼むようになった。まずいものもあれば、うまいものもあった。しかし、あの夜食べたマンゴープリンに匹敵するものに出くわしたためしはない。あのマンゴープリンをどうしても食べたい。
 マンゴープリンはわたしの人生を変えた。わたしは今では積極的にデザートを食べるし、香港に行けばあの時のマンゴープリンを求めて亡者と化す。
 香港では、わたしはマンゴープリンの巡礼者として知られているのだ。

(2001年03月06日掲載)

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