「時計」
『不夜城』が予想外に売れて、予想外の金が入ってきた。
あぶく銭だと思った。あぶく銭は使ってしまわなければならない。なぜそんなふうに思うのかと問われれば答えに窮するが、とにかく、その時はそう思ったのだ。
しかし、わたしには貧乏が染みついていた。『不夜城』が出版された月の家賃はクレジットカードのキャッシングの世話になっていたほどだ。新宿の安酒場で夜ごと安い酒を飲み、馬鹿騒ぎをするのが唯一の贅沢だった人間に、いきなり高い買物をしろといっても、無理がある。
車を買うか?−−わたしは免許を持っていない。
不動産でも買うか?−−それには金が足りない。
結局、あれこれ悩んだ末に、時計を買うことにした。おれは成金だ。成金なら、金無垢のロレックスだ−−思考は短絡する。
ロレックス専門店に行った。ガラスケースに収められた金無垢のロレックス・デイ=デイトがひと目で気に入った。だが、値札を見て息をのむ。予想していた値段ではあったし、その金額で買うつもりでいたのだ。だが、身に沁みついた貧乏がわたしにそのロレックスを買うことに二の足を踏ませた。
たぶん、そのままならわたしはロレックスを買わなかっただろうと思う。気に入った時計があるとつい買ってしまって、連れあいにさんざん文句をいわれるようにもならなかっただろう。
買うのはよそう。時計を買うつもりでいた金はもっと別な有意義なことに使おう。そう思いつつ、せっかくきたんだから手にとって見るぐらいはいいだろう。
そう思い、店員にロレックスを見せてくれないかと丁重に頼んだ。問題は、この店員だ。
店員はわたしを一瞥した。その目は、わたしにはこう語っているように思えた−−どうせ買わないくせに。
たぶん、これはわたしの僻みだ。ロレックス専門店として有名なあの店が、店員に接客指導をしていないはずがない。しかし、わたしにはそう思えてしまったのだ。
「買う気もないくせに、こんな高い時計を見せろなんていうなよ」
そういわれたように。
わたしは頭に来た。切れたといってもいい。たしかにわたしは金髪だ。着ている服も、安物ばかりだった。だからといって、この態度はないだろう。
ケースから出してもらったロレックスをろくに見もせずに「これを買う」といった。キャッシュで買ってやるといった。銀行に行き、金をおろし、店にとって返し、札束を店員に叩きつけた−−かったが、そこまではさすがにしなかった。
僻みというのは恐ろしい。今から思い返せば、店員は始終にこやかであったような気がする。態度も丁重だったはずだ。分不相応の買物をする−−その想いがわたしにあり、それが、わたしに僻ませる結果になっただけの話だ。
だが、わたしは自分が僻みっぽい性格でよかったと思う。勢いで買ったロレックスはとても気に入った。一度高い時計を買ってしまったせいで、次に時計を買う時にも、落ち着いて、じっくり検討しつつ買うことができたからだ。
二つめの時計はパテック・フィリップだ。『夜光虫』という作品で重要なキィアイテムとしてパテック・フィリップを登場させた。書きながら、自分でも欲しくなってしまったのだ。
なんという単純な思考回路。しかし、欲しくはあったが、買うつもりはなかった。ロレックスは時計としてきちんと機能している。不満もない。問題があるとすれば海外−−特に東南アジアに出かける時に、常に盗難の心配をしなければならないことぐらい。これも、わたしの貧乏性から出発している被害妄想ではある。
ある時、連れあいの買物につきあわされて、新宿のデパートに行った。貴金属、時計売り場で欲しいと思っていたパテック・フィリップを見つけてしまった。さらに悪いことには、わたしは『漂流街』という作品で第一回大藪春彦賞という賞をいただいたばかりだった。その賞の副賞は、なんと五百万円という高額なお金だった。
つまり、わたしはまたあぶく銭を手にしていたのだ。あぶく銭は使ってしまわなければならないのだった。五百万のうちのなにがしかの金は競輪ですっていたが、まだ、金は余っていた。
わたしはその場でパテック・フィリップを予約した。そう、パテック・フィリップは、店頭に欲しい時計があるからといって、それをその日のうちに買って帰ることはできない。
ご機嫌のわたしに、連れあいが皮肉そうにいう。
「よかったわね、自分だけ」
わたしは連れあいに指輪を買ってやる羽目になった。
次からは、時計売り場にはひとりで行くつもりだ。
先日、一年近く前に注文していた時計がわたしの手元に届いた。
わたしは今、すこぶる機嫌がいい。
(2001年01月08日掲載)
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