Hase's Note...


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「グランプリ」

十二月三〇日。
 午前九時に起床。餌と散歩をねだる犬を無視してスポーツ新聞に目を通す。本日は競輪グランプリ開催の日。昨日まで死ぬ思いをして仕事を続けたのは、グランプリで大勝して正月を迎えるという積年の夢を実現するためだ。
 競輪を知らない人のために−−グランプリとはその年を代表する九人の選手による大レース。賞金は七千万。プラスその年最高の競輪選手という栄誉。わたしの輪友はいう。「七千万っていったら、人によっては親も殺す金額だぜ」。従って、グランプリで展開される競輪は普段の競輪ではない。だれもかれもが目を血走らせている。おれがおれがというエゴを剥きだしにして走る。人という生き物の醜さと美しさがごっちゃになる。
 だから、競輪はやめられない。
 十二時に家を出て、一時少し前に立川駅に到着。待ち合わせの輪友たちとタクシーに乗りこみ、一路、立川競輪場へ。わたしを含め、だれもが落ち着きのない顔をしている。
 競輪場に到着すると、ちょうど第七レース−−A級決勝戦。たかがA級の決勝だというのに、観客の盛りあがり方が凄い。わたしはこの日、ラジオ短波のグランプリ放送のゲストとして出演することになっていた。放送ブースへ行くと、同じくラジオ短波ゲスト出演の鎗田直美嬢が「どうしてA級の決勝でこんなに騒げるんでしょうね」という。彼女は競輪のプロだ。わたしは答える。「今日、何万人来てるのか知らないけど、そのうちの三分の二はど素人だからしょうがないよ」
 グランプリの立川ではいつも憤る。わたしは、日本全国各地の競輪場に足を運ぶ。身を削っている。なのに、この日立川に集まる連中は、グランプリのときにしか競輪場に来ることもない。しかし、連中がいなければ、競輪の将来はもっと暗いものになる。
 ジレンマ−−脇に置け。今日は勝つためにきたのだ。車券を買うためにきたのだ。
 8レース、9レース。10レース−−惨敗。かすりもしない。気持ちだけが焦る。11レース−−グランプリの発走時間が迫ってくる。
 わたしは放送ブースに腰を落ち着ける。アナウンサーが振ってくる話題にでたらめに答えながら、マークシートを塗り潰していく。
 わたしはおそらく、数千万単位の金を競輪で失っている。グランプリのような大きな競争では、最低でも五百万は手に入れなければ勝ったつもりになれない。
 五百万勝つための車券を買う。本線は2−9裏表、2−5裏表。前者が来れば七百五十万、後者が来れば五百万。普通の競輪通はわたしの車券を見ると笑いだす。九番の選手も二番の選手も落車明けで体調は万全ではない。そのことはだれもが知っている。
 しかし、笑った人間を、わたしはさらに笑い飛ばす。
 −−グランプリだぜ、わかってるのか、おい? なにが起こるかがだれにもわからないのがグランプリなんだぜ。  レースがはじまる−−最終周回最終コーナーを9番と2番の順で立ちあがってくる。見ろ、てめえら! 七百五十万いただきだ!!−−思わず叫ぶ。
 と、最後方にいた5番車が物凄いスピードで直線を駆けてくる。
 9−5。
 振りあげていた拳が落ちる。9−5の車券は持っているが、押さえ車券でしかない。七百五十万をこの手にするはずだったのが、ん十万の儲けに変わってしまった。
 これが人生だ。負けなかっただけましだ。
 わかっている。わかってはいるが、納得はいかない。
 肩を落として競輪場を後にする。
「馳星周だぜ」わたしの背後で若い男女が囁く。「落ち込んでるよ。きっと大負けしたんだぜ」
 違うんだよ。おれは勝ったんだ−−とりあえず。だけど……。
 言い訳したいのをこらえて、わたしは足を早めた。
 まったく、人生というやつはままならぬ。
 その夜、わたしは新宿の酒場で「おれの七百五十万」と何度も繰り返し叫びながら、遅くまで飲み続けた。

(2001年01月02日掲載)

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