Hase's Note...


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「手作りご飯」

 飲食日記にも書いたが、マージに末期癌に冒されているという診断が下された。喉のところにぽつんと、小指の先ぐらいのできものができているのに気づいたのが3月の半ば。連れあいに聞いても、いつも身体を洗ってもらっているトリミング屋さんに聞いても(マージが肥満細胞種という腫瘍の手術を受けた後で、身体の異変に気をつけてくださいねとお願いしてある)、一ヶ月前には絶対にそんなものはなかったという。
 慌ててかかりつけの医者に連れていき、細胞を検査してもらうと、細胞球症という一種の血液の癌だという検査結果が出たわけだ。なぜだか、バーニーズ・マウンテン・ドッグにだけ多い病気なのだという。
 はじめは喉にできた腫瘍を取ってしまえば問題はなかろうとその医者もわたしも考えていたのだが(なにしろ早期発見だし、小さい)、東京農工大の家畜病院で精密検査をしてもらったところ、下肢のリンパ節がしこっており、そこの細胞を調べたところ、そこにも悪性の細胞が見つかり、手術をしてもすべての腫瘍を取り除くことは不可能だといわれた。
 大学病院というのは人用も動物用も似たようなもので、その診断を、わたしは20人ぐらいの学生に囲まれながら聞いた。指導教官の患者への接し方も学ばねばならないのだろう。わたしはマージを抱きしめて泣きたかったのだが、彼らの視線に晒されてそれもできなかった。くだらない見栄が邪魔をするのだな。わたしはわたしが嫌いだ。
 翌日、さらに東大の患畜病院で同じ診断をくだされ、この癌に唯一効く可能性がある、しかし効く確立は五分五分でしかないという抗癌剤を処方され、マージに飲ませた。この病気はまだ研究がはじめられた段階で、薬も開発されていないのだ。日本では売られておらず、東大も独自にアメリカから輸入しているのだそうだ。
 そんなことを聞かされたら、薬が効くかどうかを天に祈りながら黙って見守るkとなどできはしない。マージの実家やワルテルの実家にメールを送り、やがて、食餌療法、マッサージ療法を専門としている獣医師を紹介してもらい、マージを診てもらった。
 結局、癌は癌だ。薬は効いたとしても症状を抑えるだけで、根本の治療にはならない。薬が癌を抑えている間に、マージの免疫力を高めて自分で病気と闘える身体に戻してやる他はないといわれた。
 ドライのドッグフードはだめだそうだ。人間には絶対に食わせないような肉を使い、防腐剤、添加剤が使われている。だいたい、あんな安い値段でまともなものが入っているわけがない。わたしはそれでもネットの世界を駆け回って自分では最良と思うドッグフードをマージとワルテルに与えていたのだが(テレビでコマーシャルを打っているものに比べ、値段も倍はする)、それだって少しはましだという程度にすぎないのだそうだ。なによりも、ドライフードには水分がない。水分をたくさん取らせ、排泄を多くさせ、身体の中に溜まった毒素を外に出してやる必要がある。
 医師の言葉に縋るしかない。翌日から、わたしはマージとワルテルのご飯を作りはじめた。
 まず、メカブなどの海草類と、舞茸などのキノコ類をフードプロセッサで細かく刻む。そこにじゃこや煮干し、たまに肉類を放り込み、日田天領水という活性水素を多く含んだ水を加え、とろとろと煮こむ。フコイダンとβグルカンの濃縮スープを作るわけだ。できあがったスープを冷まし、切り刻んだ大根やサツマイモ、すりゴマ、それにご飯大盛り一膳分の白米の上にかける。ワルテルは、まだ買い置きのドッグフードが大量に残っているので、白米の代わりにドッグフードを与え続けている。しかし、いずれ白米に換えるつもりだ。
 これを毎日2食、続ける。さすがにきつい。連れあいは料理がまったくだめな人間なので、わたしが作り続けるしかない。犬どもと人間どもの料理を作り、仕事をしているだけで一日が終わってしまう。
 しかし、わたしがそうして作った手作りご飯を、マージとワルテルはそれはそれは美味しそうに食べる。器の底まで舐め尽くして綺麗に食べる。この半年ほど、マージはしょっちゅう下痢をしていたのだが、食事を換えた途端、それもぴたりと治まった。ほどよい弾力のある、兎の糞のようなころころとしたウンチをするようになった。
 癌に効いているかどうかは別にして、食事を換えた効果が目に見えて現れるのだ。これは励みになる。自分たちが食べる料理を作るのも連れあいに「美味しい」といってもらいたいから作る。それと同じだ。犬たちが一心不乱にわたしの作ったご飯を食べ、満足したように眠るのを見れば、なんにでも耐えられるような気がしてくる。
 マージは決して家の中で用を足さない。教えたわけではないのだが、いつしかそうなった。しかし、件の獣医師は「たくさん水分を取らせて、たくさんおしっこをさせてあげてください」という。日に何度もおしっこのために散歩に出ることもできないので、ベランダで用を足すようしつけることにしたのだが、これが難しい。今日の朝、ベランダに出しても一向におしっこをする様子を見せない姿に業を煮やし(小便が溜まっているに決まっているのにだ)、首輪とリードをつけて狭いベランダを歩き回った。すると、3分ほどしてからマージが急に腰を降ろし、大量の放尿をした。おしっことウンチは散歩の途中でするものだとマージの頭には刻み込まれているのだろう。ベランダは家の一部だが、首輪とリードをつけられたら、それは散歩なのだ。ここまで我慢することもないだろうにと思いつつ、死ぬほど褒めてやる。もうしばらくすると、マージはベランダに出せば用を足すようになるだろう。
 なにはともあれ、良かった。うんとおしっこをするといい。ころころとしたウンチを大量にするといい。一日でも長く、わたしのそばにいてくれればいい。
 これを読む人たちの中に愛犬家がいるかもしれない。わたしは手作りご飯をお勧めする。毎日は無理でも、週に一度、作ってやるといい。あなたの犬は必ず大喜びする。その姿を見れば、あなたも幸福感に浸れるはずだ。あとどれだけ生きられるのかもわからないマージを見ていても、わたしは幸せなのだから。
 ご飯を食べ終わるとマージは眠りに就く。ワルテルが遊んでもらいたくて、マージのそばに近づいていく。マージは顔を起こし、牙を剥いてワルテルに吠える。
「うるさいんだよ、小僧。わたしは寝るんだから」
 わたしは2匹の様子をそっと見守る。きっと、阿呆みたいな笑顔を浮かべているのだろう。マージがいなくなったら、わたしはわたしでなくなってしまうに違いない。

(2005年5月10日掲載)

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