Hase's Note...


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「不夜城3」

 『不夜城』はそれだけで完結した物語だった。自分の中にある煮えたぎったマグマのようなものをすべて吐き出し、書き尽くし、書き終え、それが本になり、望外の評価を得てベストセラーになり……しかし、『不夜城』は間違いなくわたしにとっては完結した一個の物語でしかない。
 しかし、当時のわたしは右も左もわからない駆け出しの作家にすぎなかった。あまりの本の売れ行きに「続編書いてよ」といってきた編集者には「いやだ」と断ったものの、その後編集者が続けた言葉には考えさせられたのだ。
「読者のことも考えなよ。あれだけ読まれてるってことは、みんな劉健一の物語に引き込まれてるってことだろう? みんな続きを読みたがってるんだよ。読者の期待に応えるのも職業作家の責任だよ」
 なるほど、読者か。わたしがあちこちのメディアに取り上げられ、預金通帳に8桁の数字が並ぶようになったのも、好きな服を買い、うまい物を食い、うまい酒をたらふく飲めるようになったのも、読者という不特定多数の人間がわたしの小説を買ってくれたからに他なるまい。ならば、確かにわたしは読者にお返しをしなければならないのかもしれない。わたしの小説を読んでくれる者のために、わたしの書くものを好きだといってくれる者のために、わたしは彼らの期待を裏切らない小説を書き続けなければならない。
 わたしはそう思い、「『不夜城』を三部作ぐらいにしようよ」という編集者の言葉にうなずいた。しかし、『不夜城』後の劉健一の物語を書くのはあまりに苦痛にすぎた。わたしの中では、劉健一というキャラクターはすでに完結し、なんのおもしろみもないキャラクターにすぎない。そんなものは書けない。逆立ちしたって書けない−−書きたくない。
 それで『不夜城2』はあのような物語になったわけだ。劉健一にはうんざりだ。歌舞伎町にもうんざりだ。それでも、わたしは読者のために『不夜城』というタイトルを冠した物語を書かねばならない。そのジレンマを乗り越えさせてくれたのは、当時、翻訳が刊行されたエルロイの『ホワイト・ジャズ』だ。その先鋭的な文体に焦がれたわたしは『ホワイト・ジャズ』的な文体に挑戦しようと試みることで、なんとか『不夜城2』を書くためのモチベーションを見つけた。
 この時点で、やはり「読者のため」という言葉の空々しさ、空虚さに、わたしは内心気づいていたのだろうと思う。が、エルロイのような文体で物語を書きたいという圧倒的な欲望がすべてを押し流してしまったのだ。
 かくしてわたしは『不夜城2』を書きあげた。が、つぎは『不夜城3』を書かねばならない。ここにいたって、わたしは呆然と立ち尽くす。
 なにを書けというのだ?
 昨年一年、本職の小説書きをサボってサッカー三昧の生活を送りながら、それでもわたしの頭の隅の一画を常に占めていたのは小説のことだ。暗黒街の物語に、暴力のインフレーションに、わたしはほとほと飽いていた。『マンゴー・レイン』を書いているときにすでに感じていたのだ。もう、いい。もう、ごめんだ。これまでとは違うアプローチでノワールに向き合いたい、小説に向き合いたい。そうして書いていたのが『生誕祭』だったし、今月末に発売される短編集に収録されている3つの短編だった。
 小説について考え、そうした小説を書くことで、わたしのなかでなにかが満ちていく。こうしたものを書いてみたい。ああしたものを書いてみたい。自分の中の浅ましい欲望に流されるのでなく、世間に流されるのでもなく、自分が欲する自分のための小説を書きたい。
 そうしてわたしは『弥勒世』に取りかかった。来年は地獄がやってくる。無謀な仕事を次々引き受けた。それでも、わたしのなかにはなにかが満ちている。小説に対する新たな欲望が滾々と湧き出ている。
 が、わたしの取り組もうとしている世界と『不夜城3』の世界はあまりにもかけ離れている。「読者のために」という言葉はもうわたしの胸には届かない。この言葉の空虚さは『不夜城2』を書くときにとことんまで実感した。
 読者がいるからわたしは小説を発表できる。食っていける。しかしそれがわかっていても、読者のために小説を書くことはできないのだ。
 約束した。その約束を信じて待っている人たちがいる。だから、わたしはなにがなんでも『不夜城3』を書かねばならない。ねばならないが、筆は遅々として進まない。『不夜城』や『夜光虫』や『漂流街』のような物語をただ書けばいいというのなら、話は簡単だ。あの手の物語なら、わたしはいくらでも書ける。だが、今のわたしにはそれだけでは小説を書くことに没入できない。なにか、が必要なのだ。『不夜城』というタイトルが限定してしまう世界で、わたしはわたしにとってのモチベーションを見つけなければならないのだが、それがまだ見つからない。それが見つかれば、こんなに苦労することはないのだ。それを見つけるために、今、必死で足掻いているのだ。
『弥勒世』を書くのは愉しいが、『不夜城3』を書くのは苦痛でならない。漆黒で塗り固められた世界を手探りで歩いているのに似ている。わたしは迷い、途方に暮れ、呆然と立ち尽くしている。
 そのうち光が射してくることはわかっている。その光がわたしの内面を照らすのを、じっと待っている。時間だけが刻々と過ぎていく。要は時間との戦いだ。


 久しぶりにアンドリュー・ヴァクスのバークものの新作『グッバイ・パンジィ』を読んだ。へこんだ。なんじゃ、こりゃ? おれの時間を返せ。訳文もわたしには合わない。佐々田雅子さんの翻訳なら、内容が多少悪くても世界に没頭することはできるのだが。
 久しぶりにいい香港映画を見た。『インファーナル・アフェア(無間道)』。香港でここまで「ノワール」な映画が作られるようになるとはねえ。感心しました。感激しました。日本語字幕なしの広東語版で見たのだけれど、もう一回劇場で日本語字幕つきを見なければ。アンディ・ラウが無茶苦茶いい。すでにブラッド・ピットによるリメイクが決定だとか。やめてくれぇ。

(2003年8月16日掲載)

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