Hase's Note...


┏-┓
-

「スペインだらだら」

 マドリー滞在は本当にストレスが溜まる。三日間、小雨が降り続けていたし、復活祭にまつわる連休中ということで、市内にはマドリー市民は少なく、変わりに観光客と、それを狙う泥棒、強盗たちがひしめいていて、ろくに散歩もできない。首締め強盗が流行ってるっていうんだからなあ。まあ、大量の現金を持ち歩くお馬鹿な日本人がいて、日本人は金を持っている、スペイン語も英語も喋れない、狙うなら日本人だという通説がどうやら強盗たちの間にはあるようなのでいたしかたないが。しかし、なんだって30万ものキャッシュを外国で持ち歩くかなあ。
 現地在住の日本人に聞いた話。地下鉄サンティアゴ・ベルナベウのカスティリャーナ大通り側の出入り口、試合のある日は人が大勢いるので問題ないが、試合のない日は、ベルナベウ見学に来た日本人を狙う強盗が暗がりに潜んでいるらしい。マドリディスタはご用心。
 クラシコ観戦はさすがに興奮したが、周囲はすべてマドリディスタ。隣に座った若いカップルはマリファナをふかしていて、ルイス・エンリケがボールを持つたびに「ルイス・エンリケ、イーホ・デ・プータ!」と叫んでいる。そんな中じゃ、バルサが同点に追いついたって心の底から喜びを爆発させることができない。ストレスが溜まる。
 いずれにしても、マドリーは好きになれない。わたしが行ったことのある「首都」の中では最悪の街だろう。どうしてああも治安が悪いのか。しかし、食事はやはり最高で、今回は中田英寿やサッカーライターの杉山茂樹さんから「あの店のハモン・ハブーコは最高」とお墨付きをもらっていた店に行った。ハモンはご存じスペインの生ハムで、ハブーコはその中でも最高級のもの。教えてもらった店はなんでもマドリーの選手がよく来るほど美味だというのだが、食してみて、絶句した。パルマのプロシュートもうまいが、なんだこのハモン・ハブーコは? 見た目はプロシュートとは違って色濃く艶があってなおかつ固そうなのだが、口の中にいれると、はらりはらりという感じで繊維が崩れ、溶けていく。美味なるかな、美味なるかな。これまではパルマの生ハムが最高だと思っていたが(つまり、スペインでも何度も生ハムを食べてはいたのだが)、このハモン・ハブーコはそれを凌駕しているやもしれぬ。この店の売りは、ハモン・ハブーコの他にも石焼きのステーキがある。二週間近く寝かせて熟成させた牛肉に粗塩をふりかけて、それを熱く熱した皿形の石で焼いて食すのだが、ただ柔らかいだけでなく、しっかりと肉の味がして、これまた天にも昇る心地なり。問題は量が多くて、ふたりではすべてを食べきれないということだけだ。いやはや、いやはや。
 この店はバスク料理の店だということで、わたしの思いははや、バスクに飛ぶ。次は必ずやバスクを訪れよう。
 翌日訪れたのはシーフードレストランだったが、こちらもタコやらエビやらカニやらが美味。が、こちらも量が多すぎ。メインにシーフード・プラッターというふたり用の食事を頼んだのだが、エビとカニがてんこ盛り。こんなのどうやってふたりで食えというのか。ところが、近くのテーブルを見ると、60歳は軽く超えていると見える老夫婦が、こんなの屁でもないといわんばかりばりばりエビとカニを食いまくっている。恐るべしはスペイン人の胃袋。こちらは半分も消化できないまま、泣く泣くごめんなさいと許しを乞うた。
 で、クラシコ。ボナーノは心臓に悪い。モッタは思いの外頑張っていた。ルイス・エンリケはさすがに魂の男である。リケルメは問題外。サビオラがいたらなあ。マドリーは疲労困憊。これじゃユナイテッド戦はまずいかもと思うほど酷い出来。まあ、3−4という壮絶な殴り合いのすえユナイテッドを下したけどねえ。ついでにいえば、ベルナベウのマドリディスタ、余裕を感じます。カンプ・ノウのヒステリーはここにはなし。かつては逆だったと金子達仁の弁。クライフの時代が懐かしい。乱闘騒ぎにも赤紙を出さなかった審判も○。あれでジダンとルイス・エンリケに赤紙が出てたら、試合、完全に壊れてただろう。でも、あんなふうに怒り狂う「禿」を見られるのも、「クラシコ」だからだ。素敵だなあ。
 憂鬱だったマドリーから、お日様燦々のバレンシアで、わたしの気分も見事に晴れた。まだ連休の最中ということで初日の街は人影もまばらだったが、マドリーより格段に治安が良く、不案内な街を日本人ふたりで歩いていても、なんの不安も感じない。気温は20度前後で空気は乾き、お日様の下では暑さを感じても日陰にはいればひんやりとした空気が肌を包んでくれる。スペイン料理のレストランは軒並み休みということで、初日の夜は洋風にアレンジした中華料理の店に行ったのだが、味はまあまあ、内装がとてもお洒落。なおかつ食事の量も日本人の胃袋に適切だったので、気分良く飲み食いして熟睡した。
 翌日は杉山茂樹さんと合流し、市内を案内してもらった。中央市場に連れていってもらって、そこの色彩と千差万別の匂いに圧倒される。スペイン語を覚えて、ここで買い物したい。市場の前のバルで絞りたてのオレンジジュースを堪能し、街中のカンペールで切れてるデザインの靴を衝動買いし、さて昼飯。ついにバレンシアのパエージャにトライだ。ご存じのようにスペインの昼食は遅い。我々がレストランに到着したのは午後の2時だったが、店内にいたのはインテリスタばかり。ファックな野郎どもめ、てめえらのクソ守備だけのチームなんぞ、バレンシアにこてんこてんにやられてしまえ、などと毒づきつつ、しかし出された料理に我を忘れる。前菜はハモンの3種セットにラタトゥイユ風の野菜の煮込み、小魚のフリッター。ああ、うまい。メインは当然パエージャ。兎肉と野菜とエスカルゴ。見た目はこってり、食べてさっぱり。兎肉にもほどよく味が付いていて、気がつけば完食していた。杉山さんがいて3人だったから食えたのだろうがね。
 お腹もいっぱいになったところで、いざ、メスタージャ。素敵なスタディアムです。ベルナベウやカンプ・ノウは圧倒されるけど、メスタージャはこちらを歓迎してくれるという感じ。ピッチも見やすい。まあ、がらの悪い連中もいて、わたしたちを見かけるなり、スペイン語で「×××××中国野郎!」とか罵り言葉を投げかけてくるやつもいたが、馬鹿は無視。馬鹿はどこにでもいる。悲しいことだが。
 久々にわたしの気持ちも入っていた。バレンシアはリーガの中ではどちらかというと守備的で、あまり好きなチームではないのだが、それ以上にインテルはクソだ。インテルのようなチームが世界の中心にいては世界のサッカーが終わってしまう。インテル憎し−−その気持ちがわたしをにわかバレンシアサポーターに変えるのだよ。日本にもインテリスタは多いのだろうが、なんでミラノ市民でもないのにあんなチームを応援できるかな、しかし。ヴィエリに点を取らせてあとは守るだけ。クソだぜ、クソ。
 試合開始5分で、そのヴィエリが点取って(なにやってんだよ、アジャラ!)、案の定インテルは守りに入る。まだ、試合時間は85分もあるっていうのにだ。本当にクソだ、こいつらは。その直後にアイマールが同点弾を叩き込んだときは、わたしもバレンシアサポーターと一緒になって飛びあがって喜んだ。あんなに嬉しいゴールは、ワールドカップ、日本対ベルギーの鈴木のゴール以来かなあ。その後も猛攻を続けるバレンシアだったけれど、ベニティス監督がカレウを左サイドに貼りつけたままだったので、なかなかハイボールで勝てない。バレンシア、来季は絶対に得点力のあるフォワードを補強すべきだ。さらにいえば、ファッキン・トルド。いやあ、神がかってたな、トルド。あいつがいなけりゃ、3−1か4−1で間違いなくバレンシアが勝っていたでしょう。本当にファッキン。クソ忌々しい。ファッキンといえば、バレンシアの監督、ベニティスもファッキン。なんであそこでアイマール代えるか。なんでインテルが攻めてこないのわかっているのにカレウを左サイドに置きつづけるか。理解不能。おかげで中央にいたビセンテは本当に窮屈そうだった。
 アウェイゴール倍ルールってのは本当に良くできたシステムだ。おかげで、わたしは最後まで興奮しつづけた。バレンシアは敗退したが、よそのチームの試合であれだけ興奮できたのだから、すべては良しとしなければならない。試合後、ホテルに戻ってテレビでバルサの敗退を知った。なにやってんだよ、おい。ああ、悲しい。悔しい。でも、やっぱりバルセロナに行かなかったのは正解だったなあ、この結果なら。
 翌日、ほぼ24時間かけて帰国したわけだが、わたしはスペイン語を学ぼうと決めた。これで4度目か5度目のスペイン滞在だったが、これまではマドリーとバルセロナにしか行ったことがなかった。バレンシアは素敵すぎた。が、杉山さんによるとバスクとガリシア地方はもっと素敵だという。次はバスクとラ・コルーニャへ行くのだ。もう、決めたのだ。でもって、年取ってリタイアしたら、スペインに住もう。マドリーにだけは絶対に住まないけれどね。

(2003年4月26日掲載)

-
┗-┛


[← 前号ヘ] [次号ヘ →]



[TOP] [ABOUT SITE] [INFORMATION] [HASE'S NOTE] [WORKS] [LIST] [MAIL] [NAME] [SPECIAL]

(C) Copyright 2001 Hase-seisyu.Com All Rights Reserved.