Hase's Note...


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「断髪式」

 敷島勝盛という友人がいる。最高位が前頭筆頭までいった関取で、心臓を患って、今年、引退した。
 敷島と知り合ったのは7、8年ほど前だ。敷島は十両にあがったばかりで、わたしは名もないライターだった。新宿のわたしの行きつけの飲み屋のママが下北沢の飲み屋で敷島と出会い、敷島がママの店に顔を出すようになった。それで、わたしと敷島は一緒に飲み歩くようになった。
 敷島は不細工な力士だった。体形は完全なあんこ型で、顔がでかく、鼻の穴がでかい。身体は黒く、乳首はさらに黒い。
 敷島の結婚式の二次会のパーティでコメントを求められ、「友人として恥ずかしい黒い乳首をテレビ画面に映すとはけしからん」といったら、敷島は本気で怒った。短気な阿呆だ。
 わたしが『不夜城』で吉川英治文学新人賞を受賞したその夜、敷島から電話があった。わざわざ祝いの電話をかけてきたのか、愛いやつよのうと思って電話に出ると「貴乃花に二連勝しちゃった。これからはおれのことは貴乃花キラーって呼んでくれよ、でへへへへ」といいやがった。本当に阿呆な男だ。
 二年ほど前、博多で飲んだ時は、敷島は暗かった。どうしたのかと水を向けると、部屋の親方がもうすぐ定年退職になる、ついては部屋頭である敷島に年寄株を買わないかという話が持ちあがっているという。敷島は角界一不細工な力士である。タニマチなどいるはずもなく、年寄株は三億近くするという。わたしは運ばれてきたゴマ鯖を食べた。「このゴマ鯖、うまいぞ。おまえも食えよ」といった。敷島の顔つきが変わった。「おれは自分の一生の問題をおまえに相談してるのに、ゴマ鯖の方が大事なのかよ!?」本当に敷島は短気なのだ。わたしはこう応じた。「おれに三億の金の話したって無駄だろう。なに相談されたって、金がないなら仕方ねえなとしか答えられねえだろうが。そんなこともわからねえのか、この馬鹿」わたしは本当にろくでなしなのだ。
 ともあれ、敷島は引退した。断髪式をやるというので、両国国技館に足を運んだ。角界一不細工な不人気力士だというのに、五百人以上の人たちが集まっていた。WAHAHA本舗の面々−−久本雅美さんや柴田理恵さん、松尾貴司(字があってるかどうかわからん、キッチュといえばわかるかしら)さん、いとうせいこうさん、山田吾郎さん、ナンシー関さん、東京スカパラダイス・オーケストラのメンバーなどなど、日本のサブカルを支えている人たちが大勢いた。不細工で短気で阿呆な敷島は誰からも愛される。たとえ、乳首が恥ずかしいほど黒かったとしても。
 断髪式は、そこに集った男性全員が土俵にあがって、力士の髷に鋏を入れる。女性は土俵にはあがれない。馬鹿げたことだ。五百人近い人間がひとりずつ土俵にあがっていくのだから、時間もかかる。その間、敷島は椅子に座ったまま微動だにもしない。さぞかし辛いだろう。敷島の前日には曙の断髪式があった。おそらく、敷島の数倍の人が集まっただろう。断髪式が終わるまでにどれぐらいの時間がかかったのだろうか。
 とにかく、敷島は緊張している。構えている。なんとか彼の気持ちを解きほぐしてやらねばならない。わたしは土俵にあがり、行司から鋏を受け取る。敷島の耳元に囁く「どこかお痒いところはありませんか、お客様?」
 敷島は吹きだした。おれはいいやつだろうが、え、敷島よ。
 断髪式は二時間近くかかった。最後に敷島の今の親方である陸奥親方(元大関霧島)が敷島の髷を落とす。敷島の顔が歪む。敷島は号泣する。
 笑ってやろうと思っていたのだ。「みっともねえから泣くなよ。泣いたら、おれは大笑いするからな」と何度も敷島にいっていたのだ。相撲がとれなくなるからといって、それで人生が終わるわけじゃねえ、んなことでいちいち泣くな、馬鹿。
 だが、手拭いで涙を拭いている土俵の上の敷島を見ていると、なんだか胸が苦しくなってきた。不細工で短気で阿呆な男だが、相撲はいつだって真剣に取っていたのだ。十数年も親しんだ場所に別れを告げているのだ。顔が不細工なだけに、敷島の涙顔は一層真実味がある。
 断髪式の後は国技館の地下のホールでささやかなパーティが催される。わたしは敷島が登場するのを今か今かと待ち受けていた。だって、8年もの付き合いの間、髷のない敷島など見たこともない。どんな顔つきになるのか、想像すらできない。あらわれたら、大声で笑ってやろうと思っていた。
 笑えなかった。敷島の短髪は、なんだか妙に様になっていた。心臓疾患と戦うためにダイエットしているせいで、スーツも様になっていた。なんだか、どこかの企業の課長のようなのだ。
 二次会と三次会は渋谷で行われた。ブラックボトム・ブラスバンドが素敵な演奏を披露してくれた。WAHAHA本舗のポカスカジャンが最高に笑えるネタを披露してくれた。敷島は顔をくしゃくしゃにしていた。満面の笑みを浮かべていた。土俵で見せた泣き顔とは違った。たぶん、本当に、肩の荷がおりたのだろう。後援会や相撲協会のじじいどものいない場所で、本当の友人たちだけに囲まれて、敷島は随分とリラックスしていた。酔っぱらっていた。
 わたしも酔った。久々に心地のよい酔い方だった。
 酒宴は十二時でお開きになった。日曜日だ、他に開いている店も見つかりそうにない。帰り支度をはじめる他の面子を尻目に、わたしは早々に席を立った。
「じゃあ、またな」
 それだけ敷島に告げてタクシーに乗った。「お疲れさん」といってやりたかったのだが、それも馬鹿らしい気がした。
 どうせ別の日に別の場所でふたりで飲んだくれるのだ。お疲れさまもくそもあるまい。
 敷島は今後二年間、準年寄として相撲協会に属し、その後は相撲界から追い払われる。年寄株を買えない不人気力士はみんな同じ道を辿る。二子山部屋のような大所帯なら、なんとか潜りこむ場所を見つけることもできるのだろうが。相撲協会というのはひでぇ組織だ。
 まあとにかく、その時になって、わたしが力になれることがあればなってやればいい。なにもしてやれなければ、してやれないというだけのことなのだ。
 それにしても、いい一日だった。
 

(2001年10月02日掲載)

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