「小説を書くということの実体」
昨日、久しぶりに飲みに行ったら、弾けてしまった。飲みすぎてしまった。
久々の宿酔で仕事ができぬ。それでも、文章を書くことまでは休めない−−休みたくないので、これを書いている。
インフォメーションでも書いてあるように、11月5日に『ダーク・ムーン』が発売される。この小説は、もうとっくの昔に連載が終わってはいたのだが、本にするに際し、大幅な手直しをくわえたために、発売が半年ほど先にずれ込んでしまったというわけだ。
本音をいえば、こういうことはしたくない。だけれども、連載を引き受けたからには、わたしがなによりも守らなければならないのは締切だ。絶好調だろうが絶不調だろうが、締切は必ずやってくる。小説の質よりも、締切を守ることを優先させなければならない時が、度々訪れる。そういうことが一年なり、二年なり繰り返され、自分の書いた物語が全貌をあらわすと、否が応でもあらが目についてしまう。とりわけ、文章−−文体。穴があったら入ってしまいたいというぐらいの気持ちになる。
本来なら、終わった仕事はとっとと手放してしまいたい。一度書き終えた小説など、見たくもない。しかしながら、そのまま本にしたのではわたしの良心が、プライドがゆるさない。かくして、ホテルでカンヅメになりながら再び額に汗することになる。出版社に迷惑をかけながら。
それが嫌だというのなら、初めからきちんと準備をして連載をはじめればいい。事実、そうやって仕事をこなしている作家も大勢いる。きっと、わたしには能力が足りないのだ。分不相応の仕事を引き受けてしまっているということなのだ。
一度、大○在○先輩にいわれたことがある。
「おまえ、書くの遅すぎるよ。それじゃ、仕事しんどいだろう?」
しんどいのだ。苦痛なのだ。それでも、書くことはやめられない。つくづく因果な性格だと思う。
さて、近々、当サイトに『ダーク・ムーン』の小説すばる連載時の原稿の一部を、適当なファイル形式でアップしようと思っている。興味のある方はそれをダウンロードし(もちろん、無料だ)、11月に発売される修正をくわえられた『ダーク・ムーン』と読み比べてみるといい。小説家という人間が(まあ、この場合は馳星周という個人に限定されるが)どういうベクトルで自分の作品と向き合っているかがわかるのではないかと思う。あるいは、小説家がどれだけの苦労と苦痛のすえに小説をものにするかがわかるのではないかと思う。
もちろん、この試みは『ダーク・ムーン』のプロモーションの意味合いも兼ねている。みんな、買ってね。読んでね。かなり力が入ってる。今現在の馳星周のすべてがぶち込まれている。
(2001年09月19日掲載)
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