「バンコク慕情」
もともと、辛いものは苦手だった。舌が弱く、汗っかきなものだからどうにもならない。タイ料理などもってのほかだった。
が、しかし、大人になってあちこちでいろいろなものを食うようになる。すると、少しずつではあるが、舌も辛みに慣れ、辛さの奥に隠れている旨味を堪能できるようになるのだが、それにしたって、舌が耐えられる辛さには限度がある。さらにいえば、わたしは髪を染めているのだが、髪を染める薬品は劇薬で、唐辛子のせいで刺激に対して過敏になっている頭皮にその劇薬が染み込むと、とんでもないことになる。
だから、わたしは極力辛い料理には手を出さないようにしている。
だが、なにごとにも例外はあって、例えば、香港に行けば激辛の「火鍋」を食べる。食べざるをえない。なぜなら、うまいからだ。辛さを通りこした痛みを補ってあまりあるうまさは、脳裏から離れない。それから、タイで食べるタイ料理。これも、やめられない。
あれは昨年の二月だ。わたしは一部スポーツ紙及び地方紙に連載する予定だった『マンゴーレイン』という小説の取材のために、初めてバンコクを訪れた。バンコクを案内してくれたのは、バンコク生まれの日本人のH氏で、H氏は朝毎昼毎夜毎、タイの宮廷料理などではなく、「汚いけど、安くて馬鹿うま」なバンコク庶民御用達の店にわたしを連れていってくれたのだった。
排気ガスがけぶる屋台で食べた汁麺と油麺の美味なことよ。運河沿いの薄汚れた店で食べた船そば(牛の血が汁に溶けこんでいる)の絶妙なことよ。スラム街のど真ん中で食べた牛筋煮込みのうまさといったら脳味噌がとろけるほどだったし、線路脇のバラックのような店で食べた鳥のローストといったら、もはやタイ以外では鶏肉を食べたくないと食の神様に誓いたくなるほどだった。そして、どの店も腹がぱんぱんに膨れるほど食べて、ビールをしこたま飲んでも、日本円でひとり五百円そこそこの会計で済んでしまうのだ。
天国ではないか。ここなら、日本で非道ともいえる税金をふんだくられたって生きていける。
わたしは香港に恋し、イタリアのパルマに恋したように、バンコクに一目惚れしてしまった。要するに、食い物がうまいところならどこでも好きになる、ということにすぎないのだが。
角川書店の編集者が『マンゴーレイン』をそろそろ本にしなくてはならないのですがといってきたのを幸いに、わたしは先日、「後追い取材」と称してバンコクに飛んだ。バンコクを案内してくれるのは、またもやH氏である。なにしろ、去年H氏が連れていってくれた料理屋はどこも究極のローカル店で、日本語はもちろん、英語も通じない。タイ語ができなければ、注文すらできない。H氏がいてくれなければ、我々は赤子同然なのだ。
バンコクのドン・ムアン空港に到着するやいなや、H氏は我々を麺の屋台に連れて行く。我々は汗をだらだらかきながら麺をすする。極楽。腹が満ちたところで、ホテルにチェックイン。今回、我々が宿泊したのはシェラトン・グランデというホテルだったのだが、なんと、ホテル側の手違いで(オーヴァーブッキングなのだろうな)、わたしはラーマ・スイートという広い中庭に露天ジャグジー風呂がついた豪華な部屋に案内された。ラーマ・スイートは一泊だけだったが、翌日からはガヴァナーズ・スイートという最高級の部屋だった。こちとら、一泊200米ドルぐらいしか払っていないのだが、おそらく、どちらの部屋もその数倍の金を取られること確実だろう。とにかく、真夜中に冷えた酒を飲みつつ入るラーマ・スイートの露天ジャグジーは最高だった。
最高級のホテルの最高級の部屋に泊まり、日々、汚いけど安くて馬鹿うまのタイ料理を食う。
わたしがますますバンコクに入れ込んでしまうのも当然だろう。ホテルはおまけにすぎないが、やはり、H氏が連れていってくれる店で食べるタイ飯は最高なのだ。
秋になったらまたバンコクに行こうかと考えている。H氏は嫌な顔をするだろうけれど。あ、その前に『マンゴーレイン』の書き直しにも目処をつけておかねばならない。これだけが、嫌だ。
しかし、東京もバンコクも気温と湿度だけは変わらない。どうなってるんだ、この気候は?
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