「マージ」
知っている人も多いだろうが、わたしは犬を飼っている。バーニーズ・マウンテン・ドッグというスイス原産の(バーニーというのは、スイスの都市、ベルンの英語読みだ)大型犬で、当年とって七歳。マージョリィという名の牝だ。
大型犬の寿命は、小型犬に比べて短い。十歳前後が平均寿命だといわれている。七歳といえば、今後は健康にも気づかわなければならない年で、実際、少しずつではあるが、マージにも衰えが見られるようになりつつある。
これが、わたしには辛い。マージが死んでしまえば、わたしは間違いなく「ペットロス症候群」に陥るだろう。彼女とは、わたしがまだ無名の貧乏ライターだった頃から、それこそ寝起きを共にしてきたのだ。
連れあいがときたま、冗談めかしていうことがある。
「あなたはわたしよりマージの方が大切なのよね」
この言は当たっているかもしれない。マージは、人間の女のようにこちらが気を使う必要がない。わたしが愛情を示せば、愛情で応えてくれる。わたしが疲れていて不機嫌なときでも、マージはいつもわたしに愛情を示してくれる。仕事をしているときも、寝ているときも、マージはわたしのそばを離れない。最近ではそういうこともなくなったが、子供のころは、わたしがトイレに行くのにもついてきて、ドアを閉めると、悲しそうに鳴いたものだった。今でも、わたしが出かけるとわかった途端(シャワーを浴びたり、着替えたり−−もろもろのわたしの行動で、マージはわたしが外出することを察知する)、世も終わりだという表情を浮かべて、拗ねてしまう。そのくせ、わたしが帰宅すると、千切れんばかりに尻尾を振って喜びを表現する。
マージはわたしに依存して生きている。マージにとって、わたしは絶対者だ。マージの世界は、わたしがいることによって完結する。
これが心地よくないはずがない。明らかに歪んだ愛だが、どんな形を取っていようと、愛は愛だ。わたしの歪んだ愛情を、マージはまっすぐに受け止め、無垢な愛情でもってお返ししてくれる。
なんだかんだといってはわたしをやりこめ、わたしを怒らせ、わたしを悲しませる人間の女より、自分の犬が大事だったとしても、不思議ではあるまい。
それこそ近親相姦的に、わたしとマージは愛しあっている。
そのマージが、少しずつ衰えてきている。わたしには、それがこたえる。
先日も大変なことが起こった。あれは夕方だった。わたしは居間のソファで夕刊を読んでいた。マージはわたしの足元で眠っていた。
夕方の散歩の時間が近づき、マージが目覚める。起きあがろうとする−−そこで、マージが悲鳴をあげた。それまで聞いたことのないような悲鳴だ。
なにかの弾みで、脚を痛めてしまったらしい。マージの体重は三十五キロを超えている。筋肉や関節が衰えれば、自分の体重がそのまま凶器に転じてしまうこともある。
間の悪いことに、その日は日曜日だった。マージの行きつけの動物病院は休みだ。車で十分ほどの場所に、年中無休の大型の動物病院があるのだが、わたしは車を持っていない。免許すら、持っていない。脚を痛めたマージを歩かせて、病院に行くことなど到底できない。
マージは身体を動かすたびに悲鳴をあげる。わたしにはなす術もなく、ただ、マージの傍らに張りつき、励ましの声をかけるだけだ。その夜、わたしは居間の固い床の上で寝た。わたしが移動するとマージがついてこようとする。その度に悲鳴をあげる。マージをそっとしておくには、わたしが常にマージのそばにいてやるしかなかった。
翌日、連れあいの実家に電話をして車を出してもらった。動物病院で検査を受けた。レントゲンを撮っても、関節に異状は見当たらない。捻挫かなにかか、あるいは年を取ったせいで関節の潤滑油の役目をする体液の分泌が少なくなっているのかもしれない−−獣医が首を捻りながらそういった。
結局、痛み止めと、関節関係の成分補給になるというサプリメントをもらって、マージに飲ませた。一週間も経つと、マージはいつものように動き回るようになった。
どうやら大事にはいたらなかったようでほっとしたが、マージが衰えはじめているのは確かだ。いつか−−近い将来のいつか、マージはわたしの元を去る。そのことを考えると、わたしは憂鬱になる。
わたしと連れあいは、マージのことで家族会議を持った。とりあえず、マージになにか会ったときのために車を確保しなければならないという結論に達した。つまり、三十六年間、無免許が自慢だったわたしが、車の免許を取りに行かなければならない、ということだ。
秋になれば少しは手がすきそうなので、免許を取りに行くつもりでいる。だが、わたしは車に関しては無知だ。まったく無知だ(馳さんの小説にはどうしてスカイラインしか出てこないんですかといわれたことがある。車種を知らないだけなんだが)。なにをどうしたら、もっとも手っ取り早く免許を取得できるのか、これから調べなければならない。
面倒ではある。だが、マージのためならなんでもするだろう。
この文章を書いているたった今、マージはわたしの足元で幸せそうに眠っている。
「できるだけ長生きしろよ」
わたしはマージに囁きかける。
(2001年07月06日掲載)
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