「銃」
子供のころは、銃に対してそれなりの興味があった。漫画の『ワイルド7』に憧れ、小遣いを貯めてはモデルガンを買い漁ったりもした。しかし、その情熱も年をとるにつれて薄らぎ、二十代になると、モデルガンに触れることすらなくなった。ましてや、実銃となると十代の終わりの二年の間に、内藤陳さんたちといったフィリピン旅行で撃ったっきりで、わざわざ海外に出かけてまで撃とうという気持ちはすっかり失せていた。
それが変わったのは、小峯隆夫さんのせいだ。月刊プレイボーイの一連の紀行文の取材で、LAに行ったのがきっかけだ。小峯さんは銃おたくである。銃を撃ちたいがために、一〇何年も前から金を貯めては渡米し、実戦的な訓練まで受けている。
「銃撃戦のある小説を書くのだから、銃のことをきっちり知っておいた方がいい」と小峯さんはいった。たぶん、『不夜城』における銃の描写が気に入らなかったのだろう。
作家たる者、いかに疲れていようが仕事に追われていようが、こんなチャンスを蹴飛ばしてはならない。わたしは小峯さんに教えを乞うことにした。
基本的な撃ち方を教わり、撃つ。弾丸が的に当たる。これで、わたしは病みつきになった。実弾発射が楽しいのは、狙った的に弾丸が当たるからだ。自慢でもなんでもなく、わたしの撃つ弾丸は、十メートルぐらいまでの距離ならば面白いように当たった。二十メートル以上離れていても、慎重に狙えば、五十センチ四方の的に当てることができた。八メートルほど先に紙製のマンターゲットを立て、三〇発ほど打ち込むと、握り拳大の穴が的に開く。それほど、当たるのだ。男性ならよりよく理解してくれると思うが、こんなに楽しいことはない。でたらめに撃っても当たらない。だが、教わったことを守り、慎重に撃っているかぎりは、当たる。
疲れも忘れ、仕事も忘れ、わたしは一日中ハンドガンを打ちまくった。運がよいことに、わたしたちが行ったLA郊外の射撃場にはハンティントンビーチ警察のスワットが訓練にきていて、外国人である我々に、気軽にサイレンサー付きのサブマシンガン、MP5を撃たせてくれた。拳銃も楽しいが、マシンガンをフルオートで撃つ心地よさといったら、射精に匹敵するほどのものだった。
翌年、我々はラスヴェガスへ飛んだ。やらなければならない仕事を精力的にこなし、むりやり時間を作って銃を撃ちに行った。
ネヴァダ州はなんでもありの州だ。外国人でも、望めばサブマシンガンやアサルトライフルをフルオートで撃つことができる。わたしはトンプソンを撃った。グリースガンを撃った。マック11を撃った。マック11は最高だった。千発用意してもらった弾丸はすぐに底をついた。オプションで弾丸を追加してもらい、それも打ち尽くした。
マシンガンは気持ちがいい。本当に気持ちがいい。はじめは怖いが、扱い方を覚えればなんということはない。撃つ前に引き金に指をかけない。弾丸が空でも銃口を人に向けない−−基本的なマナーを守ってさえいれば、これほど楽しいことはない。博奕好きのわたしが、ラスヴェガスにいながらほとんど博奕を打たないのは、たぶん、銃のせいだ。一日、砂漠で銃を撃ちまくり、ホテルに戻ると心地よい疲れに襲われて熟睡する。とても博奕をしている暇はない。
今年も、ヴェガスへ行った。対戦車ライフルを撃ち、ウージーを撃ち、MP5を撃った。どれもよく当たる。今回は、漫画家の望月三起也さんと、小峯さんが日本で女の子たちにコンバットシューティングを教えているCATというチームのメンバーのひとりが参加していて、小峯さんはふたりにかかりっきりだった。わたしはひとり、マック11を撃ち、お気に入りのハンドガンであるCz75を撃ち続けていた。わたしが勝手に銃に弾丸を込め、撃っていても小峯さんも、ヴェガス在住で射撃ツアーのインストラクターをしているキャプテン中井もなにもいわない。たぶん、馳ならだいじょうぶと信頼されてきたのだろう。それもまた、嬉しい。
十メートル先にビール瓶を立て、撃つ。初弾でビール瓶が粉々に砕ける。それを繰り返しているだけで一日があっという間に過ぎていく。馬鹿げている。だが、やめられない。
わたしの銃熱は、まだ、しばらく続くだろう。
ラスヴェガスでの射撃に興味のある人は、WWW.desertshooting.com を訪れてみるといい。ここのキャプテン中井なら、安心できる人だし、いろんな銃を撃たせてもらえる。
(2001年02月16日掲載)
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